いよいよ飛騨市の「広報ひだ」で、「飛騨びと 言の葉綴り」の連載が始まりました。広報ひだ 2024年4月号 – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
飛騨びと~言の葉綴り~ – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も波岡孝治さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)中谷節子さん(宮川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔い Live 2024~結葉の季(むすびばのとき) in C♭」開催決定!(※詳細は、2/20のこのブログをご覧ください!)
今日の「昭和Nostalgia」『「床屋さん」「散髪屋さん」シリーズ⑥』はコチラ!
写真は参考
25~26年前の事。
毎日新聞の連載コラム執筆のための取材で、3度インド各地を訪ね歩いたことがありました。
そんな中一度、出国前に床屋へ行く暇がなく、そのままインド取材を始めたことがありました。
ところが伸びた髪がどうにもこうにも気になって気になって、髪が切りたくってしょうがない衝動に!
しかし混沌とする猥雑な町の、バザールにある床屋さんに入る勇気など到底なく、ましてや床屋の前の歩道で、勝手に露店で店開きしているような、なぁ~んちゃって散髪屋やなんて、とてもとてもうさん臭くってもうだめ。
インド人のガイドに話すと、ホテルで床屋を呼んでもらって髪を切ればいいと!
「そうか!そんな手があったかぁ!」
ビハール州ブッダガヤは、釈迦が悟りを開いた仏教の聖地。
その町にあるホテルの中庭で、露店の床屋が臨時で店開き。
中庭に古びた木製の椅子が置かれ、そこにぼくが腰掛けて。
日本の床屋さんで首から下をポンチョの様にスッポリと覆ってくれる、カット・ケープなんぞそもそもあるはずもなく、タオル一枚すら纏わせてはもらえない。
おまけに床屋のオッチャンの散髪道具は、どこからどう見てもサビの浮いた鋏が1本と、歯の欠けたセルロイドの櫛が1本。
途端に嫌~な予感が!
その時点で既に、インドで床屋をやってもらおうなんて、安易に考えた自分を呪ったほど。
インド人のオッチャンは無言のまま、髪の毛全体にひとまず櫛を通し、それから散髪となるであろうとの期待は、ものの見事に砕かれてしまった。
オッチャンは、滑りの悪い歯の欠けたセルロイドの櫛で、頭頂部の髪を逆立て、有無を言わさずサビの浮いた鋏で切り始めた。
が、日本の床屋さんの鋏の様なシャリッと言う切れ味の良い音ではなく、ジャリジャリっといかにもサビの浮いた鋏の刃に、一刀両断で切れなかった髪が挟まったような感じで、オッチャンが鋏を頭から放す度、切れ残った髪が頭から引き抜かれるとんでもない始末。
おまけに左右の鬢(びん)を切る時など、オッチャンがぼくの頭の両サイドに両手を添え、そのまま右へ左へといきなり頭を倒すではないか!
日本の床屋さんの椅子なら、ペダル一つで椅子が上下するから、床屋のオッチャンの好みの高さに調節でき、いちいち客が頭を傾げ、切りやすい位置に調整することも無い!
結局そんな痛い思いを味わいながらも、なんとか散髪も終了。
お代は25~26年前で、日本円にして80~90円くらいだったか?
確か当時の為替レートは、1ルピー30円ほどだったから、3ルピー程度ってことか!
それにしても鏡で自分のヘアスタイルを観てビックリ!
だって左右の鬢の長さが見事なくらい違ってたんだから!
帰国後、いの一番で、いつもの床屋へと駆け込んだ。
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