いよいよ飛騨市の「広報ひだ」で、「飛騨びと 言の葉綴り」の連載が始まりました。広報ひだ 2024年4月号 – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
飛騨びと~言の葉綴り~ – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も波岡孝治さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)中谷節子さん(宮川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
今日の「昭和Nostalgia」は、『「床屋さん」「散髪屋さん」シリーズ①』で、まずはコチラから!
月に一度位の割合で、お風呂屋さんの先に合った床屋へ通わされたものでした。
それこそ「床屋」とか「散髪屋」なんて呼ばれていた、そんな時代でもありました。
店内はこんな感じだったでしょうか?
店内には独特の香りが漂っていたものでした。
髭剃り用の泡立てる粉せっけんの匂いやら、ヘアトニックやヘアリキッド、それにポマードの匂いがないまぜになって。
子どもの頃は、男の子は坊ちゃん刈りが相場で、椅子に座ると有無を言わさず、床屋のオジちゃんは無言のままバリカンを当て、手慣れた様子で坊ちゃん刈りに仕上げてくれたものでした。
子どもの頃に通った床屋さんには、当時の同級生の女子も通っていて、皆一様におかっぱ頭に仕立てられていたものです。
そう言えば、今にして思うと、床屋さんの店内には、わが家じゃあ見かけない不思議なものが色々あったものです。
その摩訶不思議なモノは、明日から!
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『おーぃ、散髪屋行ってきたかぁ?』
『今、行く床屋~。』
月一行っておりましたな。
オイラの時にはスポーツ刈りで通ってたかな。
散切りではないですぞ(笑)
あの当時から、
長椅子や新聞・雑誌にマンガもあったけど、
とりあえずは点いてたテレビを眺めてたような。
大概は、
母親と一緒に来て置いて行かれてみたいな。
刈ってる間に母親は先にあるマーケットで買い物。
帰りに立ち寄りお代を支払う。
そんな感じだったかな。
店内で不思議に思ってたのは、
髭剃り用の剃刀を磨くぶら下った長めの革。
あれはとにかく不思議だったなぁ。
最初は切らないようにお呪いなのかと思ってたもんね。
革砥ベルトって言うみたいですけど・・・?
家では漏れなく親父の革ベルトで真似してたっけ(^^)/
お父さんの革ベルトで代用するとは、なかなかどうしてですねぇ。
その革砥ベルトは、2~3日後に登場してまいりますよ~っ!
ぼくもあの儀式が不思議でなりませんでしたぁ!
子供が歩いて行ける所に 床屋さんは ありましたもんね。 あの独特な香り好きでしたわ。
あの顔を剃ってもらう時の泡立てていたのは 粉石鹸だったんですね。
明日からのシリーズを楽しみにしています♪
本当に粉石けんなのかは、いささか定かではありませんが、塩とか胡椒を入れるような容器に入ったパウダーだったように記憶しています。
ボクの行きつけの床屋さん。
いつもぎふチャンラジオが流れていたので、以前は平日の昼下がりに行くとオカダさんの番組が聴けました!
ご主人もオカダさんをご存じです!
この床屋さんのある通りは以前は多治見一番の繁華街でしたが、今は北部に町の中心が移ってお店が少なくなり寂しい限りです、、、。
ボクを存じ上げて下さっている床屋さんですかぁ!
ご奇特な!
何処の町の商店街も、昭和時代の役目を終え、新陳代謝で別の場所に人々は移りゆく。
無常ながら、ある意味仕方のない、栄枯盛衰なんでしょうねぇ。
小学校低学年の頃は お父さんと一緒に床屋さんに。いつも窓側の席で 隣にはお父さんが居て 鏡を見ると待合席で漫画を読んでる妹が。店内から出た時の緑多き景色も思い出しました。
高学年になると 今度はお母さんと一緒に美容院へ。初めて店内に入る時 物凄くドキドキしたのを覚えています。
こういう機会がないと思い出す事もなかった事柄や景色がふっと浮かぶのって 懐かしい…のひと言では言い表せない なんとも言えない気持ちになりますね。
上手く言えないけど…。( ◠‿◠ )
何かにつけ、小さな自分史を辿って見てもいい、そんな年齢になったんだなぁって、つくづく思います。
一つ思い出すと、その先にまた一つ思い出が広がって!
お金のかからない、記憶巡りの心旅です。
ほんとにそうですね。ありがたいです。
皮のベルトと思っていたので 楽しみに待ってます。