
祭りの日や誕生日は言うに及ばず、運動会だろうが遠足であれ。
果てはクリスマスから、婆ちゃんの夜伽の席まで。
必ずそこには、お母ちゃんが朝早くから拵えた、お稲荷さんが大皿にこれでもか、と言う程山積みであった。

それこそ晴れの日であれ、褻の日だろうが、忌日であったとしても。
お母ちゃんのお稲荷さんは、わが家の暮らしに、いつも寄り添っていた。
♪トーフー、トフトフ♪
曳き売り豆腐のオッチャンの、ラッパの音が聞こえる。

すると「ちょっとお揚げさん買って来て」と、台所でお母ちゃんの声。
使い古され所々が凹み、小さな穴の開いた、真鍮色のアルマイトの両手鍋と小銭を握らされ、曳き売り豆腐のオッチャンを追った。

既にオッチャンの周りは、鍋や丼鉢を抱えた、近所の子らで鈴なり。
「はいっ、これはオマケや!」と、オッチャンは子どもたち一人一人に、満面の笑みをたたえ、オマケの油揚げ一枚を器に放り込む。
「オッチャン、ありがとう」と、子どもたちは鍋や丼鉢を抱え、その場でオッチャンにペコリと頭を下げ、一目散に家路を急いで帰ったものだ。
「お帰り!」とお母ちゃんはぼくから、アルマイトの鍋を受け取ると、じきに台所から油揚げをコトコトと煮る、甘っ辛い醤油の香りが、小さなわが家を覆い包む。
何とも食欲がそそられた。
得も言われぬ旨そうな香りに、思わず犬小屋から老犬ジヨンも身を乗り出し、鼻をヒクヒクさせたほど。
「お待ちどう様」。
大皿にてんこ盛りのお稲荷さんを、母は卓袱台の中央にお供え物のように恭しく運ぶ。
たった家族三人のわが家で、いったいこんなにものお稲荷さんを、誰が食べるのかと疑問に思う程の量だ。
すると母は経木を広げ、お稲荷さんを5~6個ずつ包み、近所のオバチャンの元へと向かう。

帰りにはお稲荷さんと引き換えに、他所のお宅の煮物やコロッケなんぞを引き換えに。
それがそのままわが家の立派なおかずに早変わりした。
向こう三軒両隣。
相見互いの助け合い。
昭和のご近所付き合いは、平成の世を経て令和へと、遠の昔にその姿を消してしまった。

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「向こう三軒両隣」「遠い親戚より、近くの他人」
そんな、事を言っていたけど、今となっては・・
隣に住んで居る人がどんな人なのか?
知らないし知りたくもない現代人
プライバシー最優先!
それはそれでイイとは思うけど!
昭和の緩い時代の方が人間味があったと思う!
お節介と思われないように・・!
あの人はエエおじさんやな~ぁ⤴
と!そんなオジサンが一人ぐらい居てもイイかぁ?
昭和→平成→令和と時代が新たに刻まれるたびに、この国に古くから根付いていた言語や風習も、良きにつけ悪しきにつけ、知らぬ間に失われてしまったり、姿形を変えて行ってしまうのかも知れませんねぇ。
でも昭和半ば生まれとしては、失いたくない「情」ってぇのがありますものねぇ。
少し前までは「ピンポ〜ン」とインターホンが鳴り、宅配業者さんやご近所さんにマスクを付けて出ては失礼じゃないかと迷ってましたが、今は迷う事なくマスクで対応してます。な〜んか寂しいねぇ(=_=)
どうにもこうにも、不快でならなかったマスクも、もうすっかり体の一部のようですもの。
向こう三軒両隣 ちょいとご近所さんが気にしてくれる環境 いいですよね( ◠‿◠ )
うちの両隣さんは 高齢者のご夫妻ですが 毎日本当に騒がしい我が家の事をあたたかく見守ってくださってて…。(うるさいなぁ〜と思われてるはずですが)
次男なんか 挨拶をして ちゃんと挨拶を返して頂けると嬉しいようで 「○○さん こんばんはって言ってくれた!」と報告してくれます。
そのお隣のご主人がケガをして救急車を呼んだって聞いて思わず「何かあったら夜中だろうがチャイムを鳴らして下さいね!」って言っちゃいました( ◠‿◠ )
誰もがお互い様だよね〜と思ってる私です。
「ご近所さん」って響きに、何とも言えぬ温かみを感じちゃいますねぇ。
だってちゃんと「さん」付けですし、苗字までは知らないけど、毎朝お見掛けするからきっと近所の方=「ご近所さん」って感じでしょうねぇ。
なんだかホッコリします。