昭和がらくた文庫103話(2019.06.27新聞掲載)~「渓流の女神」

「あっ、お父さん!また掛かったわ。早う早う、取って、落とらかしてまうって!」。

母は河原で金切り声を挙げた。

何とも勇ましい姿だ。

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麦わら帽子にアッパッパー一丁。

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裾をたくし上げ、パンツのゴムで丸め込み、まるで首まで丈のある、ブルマーさながら。

「おおっ、また釣れたか」と、河原の石ころを踏み鳴らし、父は咥え煙草を燻らしながら、母の元へと駆け付ける。

これまた父も麦わら帽と鯉口シャツにステテコ一丁。

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「ほらよっと!」父はお道化ながら、母の釣り上げたシラハエを掴み取り、バケツの中へ放り込んだ。

そして水辺の苔むした石を拾い上げ、引っ繰り返す。

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すると苔むした石の裏側には、いくつも小さな小石で覆われたザザムシの巣が。

父は小石をめくり取り、ザザムシを掴み、器用に母の釣り竿の針先に取り付けた。

父の在所の三重県の山間。

櫛田川の上流の渓谷にほんの少し広がる洲で、親子三人ご先祖様の墓参りを済ませ、ささやかな盆休みを父の兄である叔父の家で、従兄妹らと共に過ごしたものだ。

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その晩のこと。

「さあ、揚がったよ!」と、母は叔父の家の台所を占拠し、釣ったばかりのシラハエを山のようにフライにした。

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「これにビールは、一番のご馳走やなあ」と、叔父夫婦も従兄妹も大満足。

やがて、叔父が大きな鰻の蒲焼と、鮎の塩焼きを振舞ってくれた。

鰻も鮎も、釣り名人だった叔父が仕留めた獲物だ。

「ねぇお父ちゃん。なんでぼくらは、叔父ちゃんみたいに立派な鮎が釣れやんと、小っちゃなシラハエばっかやの?」と、父に問うた。

すると父は、「鮎はなあ渓流の女王様なんや。そうやすやすとは、わしらの竿には掛からん。それに叔父ちゃんはなあ、漁協から鮎釣りの遊漁証も貰っとる名人や。そやでこんなに立派な鮎も、渓流からのご褒美としていただけるんや。どうや、叔父ちゃんの鮎の塩焼き?美味しいやろ」と。

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何だか真っ黒に日焼けし、痩せて筋張った叔父が、とても逞しく誇らし気に思えた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、シンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫103話(2019.06.27新聞掲載)~「渓流の女神」」への8件のフィードバック

  1. 今年も「鮎」食べてないな~ぁ⤴
    って言うか、もう随分食べてない!
    鮎の塩焼き、鮎の甘露煮、鮎雑炊、最高!
    数年前に「やな」へ行ったきり・・
    やはり「旬」の物は食べないとねぇ!
    長生きの秘訣らいしんで!
    マァ~⤴私の場合、長生きするけどねぇ!
    だって昔から言うでしょ!
    「憎まれっ子世に憚る」ってねぇ!

    1. その季節その季節を愛でながら、自然の営みに感謝しつつ、滋味あふれる旬の味覚を、この秋も大地からお裾分けいただきましょう!
      何てったって、食欲とキリン一番搾りの秋到来ですから!

  2. 鰻に鮎とは、盆と正月が一度に来たようじゃないですかぁ⤴️こりゃあプハァが進みますねぇ、ってオカダさん子供だったかぁ。

    1. さすがに当時は子どもでした。
      しかし大人になってまだ間もない頃にも、墓参りに出掛けた折にシラハエ釣りをして、それをお母ちゃんがフライに挙げてくれたので、誰に憚ることも無くぼくはプッハアと至福の味を貪り尽くしたものでした。

  3. なるべく他人と比較しないようにしたり『 どうせ○○なんか… 』の『 どうせ 』を使わないようにしたりしてるけど 自分から何かを見て 目や心を奪われた時や自分に無いものを持ってたりすると もう興味津々(笑)
    小さい頃 九州に帰った時 おじさんがわらぞうりの作り方を教えてくれて…
    父は 竹とんぼを作ってくれて。
    眩しかったなぁ〜( ◠‿◠ )

    1. 昭和の頃の大人たちは、少なくともぼくなんぞよりは、誰もが立派だったと痛感しています。
      そこらへんに転がっているもので、生活に必要な道具やら、子どもたちの遊び道具まで、見よう見真似でちゃちゃっと作ってくれちゃうんですもの。
      それに比べてぼくなんぞは、何一つ器用に作れないまま、なんだか無駄に齢を重ねちゃっています。

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