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飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト
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子どもの頃、こんな蒸しパンが卓袱台の上に置かれ、折り畳み式の蝿帳が被せられているのを目にすると、学校から帰ってランドセルを背負ったまま、小躍りしたほどぼくは大喜びでした。
蒸しパンの中でも、こんな色をした黒糖味の蒸しパンにゃあ目が無かったものです。
それから半世紀以上が過ぎた頃だったでしょうか?

コンビニかスーパーで、こんな大きな黒糖蒸しパンを見かけ、ついつい衝動買いをして、子どもの頃の味を堪能したことがありました。
何故、それほど恋しい味だったのやら?

気になって調べると、蒸しパンの類は、母の出身地鹿児島や宮崎辺りでは、「ふくれ菓子」と呼ばれる郷土のお菓子だったとかで、それを想い出してお母ちゃんが黒糖味の蒸しパンを作っていたんでしょうか?
後に山崎パンから昭和62(1987)年に発売され、超ロングセラーになったと言われる「黒糖フークレエ」は、時代も異なっていて、とてもそれが子どもの頃のわが家の卓袱台に上がったとは考えられません。

やっぱりお母ちゃんが、大きなアルマイトの蒸し器で、蒸しパンをせっせと作ってくれたんでしょうねぇ。
大人になってぼくが思わず懐かしさのあまり手にしたのが、山崎パンの「黒糖フークレエ」だったのかも?
あ~あ、また無性に食べたくなって来ちゃったぁ!
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子供の頃・・
ロバぱんの蒸しパン食べてたけど
中に入っている具材とまわりを食べて
後は食べなかった。
贅沢な食べ方をして、今、思うと反省 ❢
大人になった、いま
安心してください。
ちゃんと食べてますよぉ♬
蒸しパンは仄かな甘みがして、それだけで十分、昭和のあの日にたちまち帰れるような、そんな記憶装置を作動させてくれるような、食べるスイッチのようにぼくには感じられてなりません。