「昭和Nostalgia」(547)

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子どもの頃、こんな蒸しパンが卓袱台の上に置かれ、折り畳み式の蝿帳が被せられているのを目にすると、学校から帰ってランドセルを背負ったまま、小躍りしたほどぼくは大喜びでした。

蒸しパンの中でも、こんな色をした黒糖味の蒸しパンにゃあ目が無かったものです。

それから半世紀以上が過ぎた頃だったでしょうか?

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コンビニかスーパーで、こんな大きな黒糖蒸しパンを見かけ、ついつい衝動買いをして、子どもの頃の味を堪能したことがありました。

何故、それほど恋しい味だったのやら?

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気になって調べると、蒸しパンの類は、母の出身地鹿児島や宮崎辺りでは、「ふくれ菓子」と呼ばれる郷土のお菓子だったとかで、それを想い出してお母ちゃんが黒糖味の蒸しパンを作っていたんでしょうか?

後に山崎パンから昭和62(1987)年に発売され、超ロングセラーになったと言われる「黒糖フークレエ」は、時代も異なっていて、とてもそれが子どもの頃のわが家の卓袱台に上がったとは考えられません。

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やっぱりお母ちゃんが、大きなアルマイトの蒸し器で、蒸しパンをせっせと作ってくれたんでしょうねぇ。

大人になってぼくが思わず懐かしさのあまり手にしたのが、山崎パンの「黒糖フークレエ」だったのかも?

あ~あ、また無性に食べたくなって来ちゃったぁ!


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(547)」への2件のフィードバック

  1. 子供の頃・・
    ロバぱんの蒸しパン食べてたけど
    中に入っている具材とまわりを食べて
    後は食べなかった。
    贅沢な食べ方をして、今、思うと反省 ❢
    大人になった、いま
    安心してください。
    ちゃんと食べてますよぉ♬

    1. 蒸しパンは仄かな甘みがして、それだけで十分、昭和のあの日にたちまち帰れるような、そんな記憶装置を作動させてくれるような、食べるスイッチのようにぼくには感じられてなりません。

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