「昭和Nostalgia」(544)

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写真は参考

小学生だった頃、一文菓子屋でぼくが毎回やった籤と言えば、1回5円(当時)だった甘納豆の小袋の籤でした。

ぼくが子どもの頃は、こんなオモチャが当たる様な、そんな類の籤ではなく、ただの甘納豆の小袋だけが連なっていたものです。

そして一口サイズの甘納豆が入った小袋の裏側に、確か「あたり」「はずれ」と印字されていたような?

写真は参考

数回に1回くらいの割合で「あたり」籤を引き当てると、そりゃあもう天にも昇る歓びだったものです。

とは言え、「あたり」を見事に引き当てたとしても、甘納豆籤がもう1回引けると言うだけのこと。

それでも嬉しくって、続けざまにもう一回当たってくれと念じながら、小袋を引いたものです。

とは言え、そうそう柳の下に2匹とドジョウがいるはずも無く、束の間の喜びも悔しさと入れ替わっちゃったりしたものです。

皆さんも甘納豆籤を引かれましたか?


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(544)」への6件のフィードバック

  1. これは知りませんでした。
    知っていれば全財産を使い切っていたと思う・・
    全財産と言っても10円か15円
    50円あれば、ハナ垂れ小僧達に大盤振る舞い♬
    普段はみんな偉そうにしているけど
    こんな時はご機嫌取りに必死 ❢
    こうやって世当たりの勉強をして行くんでしょうねぇ
    昭和30年代って、こんな時代でしたよぉ⤴
    大体、今は小学校の正門前に
    文房具と駄菓子屋さんが一緒になった店がないもんねぇ ❢

    1. ありましたねぇ!
      小学校の前にも、中学校の前にも、一文菓子屋と文房具まで何でも揃う、コンビニエンスな萬屋がありましたねぇ。

  2. 子どもの頃は、なっとうといえば甘納豆。本物の納豆と出会ったのは大学の食堂でした!特に問題無く食べられました。

    1. 駄菓子でもきっと最下等に当たる甘納豆籤の甘納豆には、とても間で砕くこともままならないような、とんでもなく硬いままの甘納豆が混ざっていたものです。

  3. 甘納豆の籤 ⁈
    何それ〜初めて知りましたよ!
    ブログを読みながら あれやこれや想像もしちゃいました(笑)
    『当たり』が出た時 その景品がスーパーボールと甘納豆だったら どっちを選ぶ? 紙石鹸と甘納豆だったら? などと。
    ん〜 どれも捨て難いけど 今なら”甘納豆” と即答!の結論が出ました(大笑)

    1. え~っ、ご存知ありませんでしたかぁ!
      ちょっとジェネレーションギャップを感じさせられちゃいますねぇ。
      籤とはいえ、甘納豆もそれなりに美味しかったですよぅ!

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