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小学生だった頃、一文菓子屋でぼくが毎回やった籤と言えば、1回5円(当時)だった甘納豆の小袋の籤でした。
ぼくが子どもの頃は、こんなオモチャが当たる様な、そんな類の籤ではなく、ただの甘納豆の小袋だけが連なっていたものです。
そして一口サイズの甘納豆が入った小袋の裏側に、確か「あたり」「はずれ」と印字されていたような?

数回に1回くらいの割合で「あたり」籤を引き当てると、そりゃあもう天にも昇る歓びだったものです。
とは言え、「あたり」を見事に引き当てたとしても、甘納豆籤がもう1回引けると言うだけのこと。
それでも嬉しくって、続けざまにもう一回当たってくれと念じながら、小袋を引いたものです。
とは言え、そうそう柳の下に2匹とドジョウがいるはずも無く、束の間の喜びも悔しさと入れ替わっちゃったりしたものです。
皆さんも甘納豆籤を引かれましたか?
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これは知りませんでした。
知っていれば全財産を使い切っていたと思う・・
全財産と言っても10円か15円
50円あれば、ハナ垂れ小僧達に大盤振る舞い♬
普段はみんな偉そうにしているけど
こんな時はご機嫌取りに必死 ❢
こうやって世当たりの勉強をして行くんでしょうねぇ
昭和30年代って、こんな時代でしたよぉ⤴
大体、今は小学校の正門前に
文房具と駄菓子屋さんが一緒になった店がないもんねぇ ❢
ありましたねぇ!
小学校の前にも、中学校の前にも、一文菓子屋と文房具まで何でも揃う、コンビニエンスな萬屋がありましたねぇ。
子どもの頃は、なっとうといえば甘納豆。本物の納豆と出会ったのは大学の食堂でした!特に問題無く食べられました。
駄菓子でもきっと最下等に当たる甘納豆籤の甘納豆には、とても間で砕くこともままならないような、とんでもなく硬いままの甘納豆が混ざっていたものです。
甘納豆の籤 ⁈
何それ〜初めて知りましたよ!
ブログを読みながら あれやこれや想像もしちゃいました(笑)
『当たり』が出た時 その景品がスーパーボールと甘納豆だったら どっちを選ぶ? 紙石鹸と甘納豆だったら? などと。
ん〜 どれも捨て難いけど 今なら”甘納豆” と即答!の結論が出ました(大笑)
え~っ、ご存知ありませんでしたかぁ!
ちょっとジェネレーションギャップを感じさせられちゃいますねぇ。
籤とはいえ、甘納豆もそれなりに美味しかったですよぅ!