「昭和Nostalgia」(483)

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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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これをご覧になって、直ぐになんのスコアーかお分かりになったら、これまた立派な昭和人に違いありません。

ぼくが中学2~3年の頃、ボーリングが大ブームで、どこのボーリング場も超満員!

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3時間待ちなんてざらだったものです。

それでも平気で待てるほど、ボーリングをやりたくってやりたくって、誰も彼もが同じ思いであった事でしょう。

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やっとのことでレーンを割り当てられると、真っ先に貸しボールを選び、スコアーに自分の名前を手書きしましたねぇ。

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誰もが中山律子さんに憧れたものでしたですよねぇ!

もう何十年とボーリングをしたことがありませんが、今やスコアーも自動で記録され、TVモニターに表示されちゃうんでしょうねぇ。

昭和のあの頃は、ゲームの点数を計算し、スコアーに手書きしたものでした。

それなりに手書きのスコアーも、味わい深いものでしたけどねぇ。

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何とも驚きですが、ぼくらのボーリングブーム時代のもっと前は、ピンのセットも自動じゃなく、裏方ではこんな風に手作業でピンやボールを扱っていたようです!


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(483)」への6件のフィードバック

  1. ボ─リングのスコア付けるの、好きでした~!家に、オモチャのミニボ─リングゲ─ムも買ってもらって遊びましたね!

    1. ぼくもオモチャのボーリングゲームが欲しかったものです。
      でもわが家は、買ってもらえなかったですねぇ(泣)

  2. 「ボーリングブーム」 ありましたね
    家の廊下でプラスチックのボールを投げては 人力で立て直してましたけど まさか
    ほんとに裏で人力だった時代があったとは驚きました。

    1. 家の廊下をレーンに見立てて、プラスチックのピンを並べ、プラスチックのボールを転がしたものでしたですねぇ。
      一々投球する度に、手作業でピンを立てて!
      愉しい反面、ちょっと面倒なボーリングゲームでしたねぇ。

  3. 流行りましたよね〜。
    家族で…の経験はないけど 子ども会の行事として連れて行ってもらったり 社会人になってからは 会社内でのボーリング大会があって 豪華な賞品が並んでたっけなぁ〜。
    手書きのスコアーも懐かしいです。
    今 ボーリングをしたら 必ず翌日には筋肉痛で体がボロボロになるでしょうね ⁉︎ (笑)

    1. 確かに確かに!
      筋肉痛どころが、体中がガタガタになっちゃいそうです!

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