飛騨市の「広報ひだ」12月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
写真は参考
微かな記憶ですが、ぼくは小学校を卒業するまで、一つの部屋で両親とそれこそ川の字になって寝ていたものです。
そこで思い出す間が、お父ちゃんの足の指捌きです。
「なんじゃあそりゃあ?」と思われたでしょうか?
特にこんな寒い冬の日は、お父ちゃんの足の指捌きがとても役に立ったものでした。
「さぁ、寝るぞ~っ」とお父ちゃんの声。
急いでぼくもお母ちゃんも、今思えば糞重たい綿の布団に潜り込んだものです。
「じゃあ、電気消すぞ~っ」とお父ちゃん。
写真は参考
するとお父ちゃんは布団の端から足首だけ出して、器用に蛍光灯を消す紐を足の指に挟んで消してくれたものです。
もちろん蛍光灯から通常ぶら下がっている紐じゃあ、寝ている足元まで届きっこありませんから、紐の先に延長紐が結わえられておりました。
写真は参考
しかし毎晩の事とは言え、お父ちゃんは器用に蛍光灯の灯りを、布団をめくって起き上がらずとも、消してくれたものでした。
ぼくも今度か挑戦したこともありましたが、お父ちゃんにはかないっこありませんでしたねぇ。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
投稿者: okadaminoru
1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。
岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。
<著書>
「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」
okadaminoru のすべての投稿を表示
う〜ん、昭和懐古映画のワンシ─ンに使いたいシチュエーションやね〜!
なんてったって、たった一間の川の字寝ですからねぇ。
ボクが小さい頃は父が単身赴任だったので、土曜日の夜遅くに父が帰って来て翌朝起きると隣に「知らないオジサンがいる!」ので泣いていたそうです。(自分では覚えていませんが、母がそう言ってました。)
泣き出されたお父様は、さぞや複雑な気持ちでいらっしゃったんでしょうねぇ。
私は小学校6年生まで 妹と並んで寝てました。もちろん ベッドではなく畳に布団を敷いて。
だから 寝返り仕放題。
ところが 6年の1学期に引っ越した最初の夜 念願のベッドを目の前にし 喜んでウキウキしながら眠りについたものの 夜中にベッドから落ちる羽目に…。
それまでは 寝返りしても隣に妹か両親がいたので 危ない目にあう事もなかったんですよね〜。
落ちた翌日からは 毎晩 緊張しながらの日々が続いたので 暫くの間は 夜中に何度も起きてました。そのお陰でか それ以降 一度も落ちた事はないです。
でも 去年の年末 椅子に座ったまま うたた寝したら途中見事に椅子から落ちました(大笑)
自分でも びっくり!
ベットや椅子から寝落ちすると、打ちどころが悪いと大変なことになっちゃいますよ~っ!
くれぐれもご用心、ご用心!