「昭和Nostalgia」(303)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

微かな記憶ですが、ぼくは小学校を卒業するまで、一つの部屋で両親とそれこそ川の字になって寝ていたものです。

そこで思い出す間が、お父ちゃんの足の指捌きです。

「なんじゃあそりゃあ?」と思われたでしょうか?

特にこんな寒い冬の日は、お父ちゃんの足の指捌きがとても役に立ったものでした。

「さぁ、寝るぞ~っ」とお父ちゃんの声。

急いでぼくもお母ちゃんも、今思えば糞重たい綿の布団に潜り込んだものです。

「じゃあ、電気消すぞ~っ」とお父ちゃん。

写真は参考

するとお父ちゃんは布団の端から足首だけ出して、器用に蛍光灯を消す紐を足の指に挟んで消してくれたものです。

もちろん蛍光灯から通常ぶら下がっている紐じゃあ、寝ている足元まで届きっこありませんから、紐の先に延長紐が結わえられておりました。

写真は参考

しかし毎晩の事とは言え、お父ちゃんは器用に蛍光灯の灯りを、布団をめくって起き上がらずとも、消してくれたものでした。

ぼくも今度か挑戦したこともありましたが、お父ちゃんにはかないっこありませんでしたねぇ。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(303)」への6件のフィードバック

  1. う〜ん、昭和懐古映画のワンシ─ンに使いたいシチュエーションやね〜!

  2. ボクが小さい頃は父が単身赴任だったので、土曜日の夜遅くに父が帰って来て翌朝起きると隣に「知らないオジサンがいる!」ので泣いていたそうです。(自分では覚えていませんが、母がそう言ってました。)

    1. 泣き出されたお父様は、さぞや複雑な気持ちでいらっしゃったんでしょうねぇ。

  3. 私は小学校6年生まで 妹と並んで寝てました。もちろん ベッドではなく畳に布団を敷いて。
    だから 寝返り仕放題。
    ところが 6年の1学期に引っ越した最初の夜 念願のベッドを目の前にし 喜んでウキウキしながら眠りについたものの 夜中にベッドから落ちる羽目に…。
    それまでは 寝返りしても隣に妹か両親がいたので 危ない目にあう事もなかったんですよね〜。
    落ちた翌日からは 毎晩 緊張しながらの日々が続いたので 暫くの間は 夜中に何度も起きてました。そのお陰でか それ以降 一度も落ちた事はないです。
    でも 去年の年末 椅子に座ったまま うたた寝したら途中見事に椅子から落ちました(大笑)
    自分でも びっくり!

    1. ベットや椅子から寝落ちすると、打ちどころが悪いと大変なことになっちゃいますよ~っ!
      くれぐれもご用心、ご用心!

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