「昭和Nostalgia」(143)

飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

わが家の箪笥の上に、こんな富山の薬箱が置いてありました。

写真は参考

そして月に一度くらいの割合で、富山の薬売りのオッチャンがやって来てたものです。

写真は参考

そして薬箱の中の薬がどれだけ減っているかを確認し、わが家がその月に使用した分だけの薬代をお母ちゃんが支払い、不足した薬を再び追加して、オッチャンが薬箱に仕舞ってくれたものでした。

写真は参考

薬売りのオッチャンは、お母ちゃんから代金を受け取ると、紙風船とか子どもが喜ぶおまけをくれたものでした。

写真は参考
写真は参考

中でもぼくが一番うれしかったのは、昆布飴だったと記憶しております。

写真は参考

でももしかしたらぼくの記憶違いで、薬売りのオッチャンから昆布飴はもらえなかったのかも?

もう今となっては、思い出す術もありません。

結構、子どもの頃は昆布飴が好きだったはずなんですが、もうかれこれ

60年近く食べていないような気がします。

今度見かけたら、一度買ってみよう~っと!

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

【蓬莱本館】2人セット
価格:3,280円(税込、送料別) (2024/2/11時点)


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(143)」への4件のフィードバック

  1. 富山の薬売りのお話は知ってるし、
    システムも理解してますが。
    学校系がこのシステムを取っていたかと記憶。
    我が家は、
    看護師だった母親の判断で、
    なにやら厳選された専門薬が揃っていたような。
    とは言え、
    オイラは正露丸にヨードチンキ。
    いつからバンドエイド位しか使わなかったかね。
    風邪程度なら家で注射まで打たれたから・・・
    病院へって考えはあの時代あまりなかったよね???

    1. そうですかぁ!
      お母様が白衣の天使さんとは!
      それにしてもいくら何事にも緩かった昭和と言えど、まさか家で注射を打っていただけるなんて!
      初耳でしたぁ!

  2. とても懐かしいです。
    おまけの紙風船を貰えるのが楽しみでした。私の中では正座して聞いていたつもりでしたけど いつも甘えていましたけど お客様のみえる時には 叱られない事を
    良いことに 母に甘えてくっついていたようにも思います。

    1. 確かに子どもながらに、他所の人がいる時は、絶対に無暗に怒られないって、そう身に着けていましたねぇ!
      でもついつい調子に乗って、あんまりな事をすると、他所の人が帰った後に、たっぷりとお灸を据えられたものでした。

okadaminoru へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です