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父は戦後間も無く、人に頼まれては遺影の写真代わりに似顔絵を描いていたようで、そんな頃から一端に「秋月」と雅号を名乗っていたそうだ。

母はベッドで力なく目を見開くと、じっとコーヒー占いの絵と父の顔を見つめ続けた。
そしてまるで何かを悟ったように、そっと目を閉じた。

その夜、ついに母は帰らぬ人となった。
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何を悟られたんだろう。
言葉はなかったのだろうか。
それで良かったのだろうか。
ラブレターはまだ半分。
どうなるのだろう。
父親の時はコロナの真っ最中で、
親族は一度だけ見舞いが出来る状況でした。
ですから、
一度見舞うと次は息を引き取ってからの面会になります。
その一度きりの見舞いの際に、
父親にどんな言葉を贈ろうかと考えました。
今が終われば二度と言葉を掛けることができない。
励ますべきか、感謝の気持ちを伝えるべきか、
面会日まで考えましたよ。
そして、
ちゃんと伝えましたよ・・・ 多分( 一一)
コロナの渦中は、そのように切羽詰まった事が多々あった事でしょうねぇ。
でもいつでも逢えて、いつでも気持ちを伝えられると思っていると、なかなかその時を見誤ってしまい、感謝の言葉も励ましの言葉も、伝えられないままその瞬間を迎えてしまったかも知れません。
コロナは、様々な事を教えてもくれたのかも知れませんねぇ。
普通や平凡が、どれほど尊いものかって!
一体 何が見えて何を思いながら 次の世界に行かれたんだろう…
もしかしたら 残されるであろう人達の近い未来が見えたから 安心して目を閉じたのか?
自分も年齢を重ねてきたのと 両親の事もあるので いろんな立場から考えたり想像したりしてしまいますね。
誰もがいつかは召されるわけで、しかし自分のシナリオ通りにその瞬間が迎えられるかは、何人にも分からない者でしょうねぇ。