2010.6岐阜新聞「高山昭和館がらくた堂臨時営業」

窓から外を眺めて、やっと雨だと気が付いた。

中学に上がる春先。

父は日曜大工で、三ヶ月かけ勉強部屋を建てた。

大好きな釣りも絶ち、製材所から家まで角材を担ぎ幾度も往復。

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それからひと月。

隣りのご隠居の手を借り棟上げへ。

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その後父はたった一人で、黙々と屋根のトタン張りから内装までを仕上げた。

そして6月、ついに完成。

その夜は母の提案で、親子三人が布団を並べ川の字に。

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思えばそれが最後の川の字だった。

個室を得て間もない頃は、嬉しくて急ぎ帰宅したものだ。

ところがそれも束の間、期末試験を迎える頃には、梅雨入りを迎えた。

所詮、素人大工の安普請。

ひとたび雨が降り出せば、会話も出来ぬほどトタン屋根からけたたましい音が上がる。

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まるで戦場さながらに。

だから雨音に慣れるまでは、勉強どころか眠ることさえままならなかった。

だが今はそれさえ妙に懐かしい。

もうこの先、トタン屋根を打つ雨音は聞けないだろう。

そう思うと急に、在りし日の父の顔が浮かんだ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「2010.6岐阜新聞「高山昭和館がらくた堂臨時営業」」への6件のフィードバック

  1. 雨音で思い出すのが・・
    名古屋支社へ期間限定の3年間を北区黒川で過ごしました。
    そこで寝泊まりしたのが高速道路のすぐ横のマンション
    天気のいい夜は気にならなかったけど
    雨の日の夜は、もう⤴車のタイヤの水しぶきの音が
    「シャァ~♩シャァ~♩」とうるさいのなんの ❢
    気になって眠れなかった。
    しかし慣れと言うのは怖いもので
    いつの間にか水しぶきの音が子守唄に・・

    1. 北区黒川に3年もお住まいだったとは!
      きっと今でも都市高速の傍らに、落ち武者殿が過ごされたマンションがあるんでしょうねぇ。
      確かにどんな環境でも、慣れって恐ろしいもので、いつしか住めば都ですからねーっ。

  2. 音と言えば、電車沿線に住んでますが始発電車、終電電車の音は全く気にならないのに、電車が通る度にテレビの音が聞こえなくなるのがちょとね(・・;) 
    ドラマの肝心なセリフの時に電車が通ると聞こえない(怒) なので数年前からテレビを字幕で見るようにしてます。これでストレス解消⤴️

    1. 一度気になりだすと、もう気になって気になって仕方なくなっちゃうものですよねぇー。
      まるで見身の周りに纏わりつく、藪蚊の羽音のようなもので。

  3. 「北の国から」の名古屋版でしょうか。埴生の宿を彷彿させる、ほのぼのとする光景ですね。雨が降る音がトタン板を叩く音の激しさ、どんなのでしょう。山が好きなワシは学生時代、テントで聴く沛然たる驟雨に慄いたものでした。

    1. しかし昔のテントは、天幕も支柱もペグも、みんなみんな重たかったですよねぇ。
      ぼくもカブスカウトからボーイスカウトへと向かう間に、団が所有するテントや野営用品を背負わされ、里山の道なき道を進んで、雑木林を切り開いて、野営地を築いたものでした。
      おかげで、雑木で組む立ち竃もお手の物でした。

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