04.9.10中日新聞三河版フジケン連載広告掲載
「遠い日の笑顔」
この国の人たちの笑顔と、何処かで過去に出逢った気がする。
屈託が無く、掛け値も無い、湧き出るような笑顔。

「待てよ、そうか!」。
昭和30年頃のぼくらの国と同じだ。
戦争で疲弊しきった人々の、心の渇きも癒え、誰もが今日よりは少し豊な明日に想いを馳せ、腹を空かせながらも高らかと笑ってた。

笑うことだけが唯一、明日を信じる術だと言わんばかりに。
きっとこのベトナムの人たちも同じだ。
欠けたレンガを組み合わせ、粘土で積み上げただけの粗末な家。

家族が車座になり、大皿に盛られた倹しい主菜へと一斉に箸が伸びる。
父が今日一日の出来事を、家族の前でユーモアたっぷりに話し出した。
妻や子の何とも愉しそうな笑い声。
テレビもない、この家のゴールデンタイムは、まだまだ終わりそうにはない。
「そうだ!」。
ぼくもこの旅を終えたら、テレビも消して君を腹から笑わせてみようかな。
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ワシの子供の頃もこんな景色やったような感じでした。鼻垂らして、臭い足でおったような記憶があります。集会室に詰め込まれ幻灯機から映画をみせてもらう時、自分達の足の臭いにヘキエキしたものでした。
まぁ今の世に比べたら、昭和半ばのぼくら世代が育った時代は、まだまだ不衛生なものでした。
でも、やっぱり一番恋しい時代です。
昭和30年代に生まれ育って
終戦から10年ほどしか経っていない
借家長屋で貧乏だったけど・・
この歳まで生きて来られたからねぇ!
給食費も滞納する事無く、親に感謝です!
年に1回行く、柳ケ瀬の丸物百貨店で、
お子様ランチを食べるのが夢のようで嬉しかった。
貧しい時代だったからこそ、小さな幸福が、今の時代の数千倍も大きな幸せに感じられたんでしょうねぇ。