「 世界家紀行」⑲

04.9.10中日新聞三河版フジケン連載広告掲載

「遠い日の笑顔」

この国の人たちの笑顔と、何処(どこ)かで過去に出逢った気がする。

屈託(くったく)が無く、掛け値も無い、湧き(いで)るような笑顔。

写真は参考

「待てよ、そうか!」。

昭和30年頃のぼくらの国と同じだ。

戦争で疲弊(ひへい)しきった人々の、心の(かわ)きも()え、誰もが今日よりは少し豊な明日に想いを()せ、腹を空かせながらも高らかと笑ってた。

写真は参考

笑うことだけが唯一、明日を信じる(すべ)だと言わんばかりに。

きっとこのベトナムの人たちも同じだ。

欠けたレンガを組み合わせ、粘土で積み上げただけの粗末な家。

写真は参考

家族が車座になり、大皿に盛られた(つま)しい主菜へと一斉に箸が伸びる。

父が今日一日の出来事を、家族の前でユーモアたっぷりに話し出した。

妻や子の何とも愉しそうな笑い声。

テレビもない、この家のゴールデンタイムは、まだまだ終わりそうにはない。

「そうだ!」。

ぼくもこの旅を終えたら、テレビも消して君を腹から笑わせてみようかな。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「 世界家紀行」⑲」への4件のフィードバック

  1. ワシの子供の頃もこんな景色やったような感じでした。鼻垂らして、臭い足でおったような記憶があります。集会室に詰め込まれ幻灯機から映画をみせてもらう時、自分達の足の臭いにヘキエキしたものでした。

    1. まぁ今の世に比べたら、昭和半ばのぼくら世代が育った時代は、まだまだ不衛生なものでした。
      でも、やっぱり一番恋しい時代です。

  2. 昭和30年代に生まれ育って
    終戦から10年ほどしか経っていない
    借家長屋で貧乏だったけど・・
    この歳まで生きて来られたからねぇ!
    給食費も滞納する事無く、親に感謝です!
    年に1回行く、柳ケ瀬の丸物百貨店で、
    お子様ランチを食べるのが夢のようで嬉しかった。

    1. 貧しい時代だったからこそ、小さな幸福が、今の時代の数千倍も大きな幸せに感じられたんでしょうねぇ。

神戸町のイカじじい70 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です