毎日新聞「くりぱる」2006.5.28特集掲載②

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「土俵上の褌は、なんと絞りの浴衣帯?」

今回の「素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)」は、6月3日・4日に開催される「有松絞りまつり」で賑う、旧東海道沿いの歴史と絞りの里が舞台。

絞り商品の販売や、各種のイベントが繰り広げられ、毎年15万人もの人々が訪れる。

写真は参考

忘れ得ぬ一枚の写真。

ちょっと黄ばんだモノクロームの手札版の写真。

そこには小さなぼくと、背高のっぽのサトウのおじちゃんが、共に真っ裸の褌姿で向かい合っている。

「巨人・大鵬・卵焼き」の時代。

ぼくは大鵬を気取り、柏戸役をおじちゃんに押し付け、おばちゃんが軍配を握った事だろう。

言葉以上に言葉を宿す写真。

45年近くも前の事だと言うのに、その写真の映像を思い浮かべるたび、当時の会話が蘇るようだ。

「ハッケヨ~イ、ノコッタ、ノコッタ」。

おばちゃんの掛け声で取り組みが始まる。

大きなおじちゃんはぼくを肩まで抱え上げ、ガリバーのようにノッシノッシと土俵際へ。

「おおっと柏戸強い!大鵬を抱え上げ一気に土俵際へ」。

おばちゃんの巧みな実況中継に刺激され、ぼくは両手両足を振り回し空を切る。

「ああっ、大鵬ついに一巻の終わりか!」。

おばちゃんの絶叫。

「ああっ?どうした柏戸!土俵まで後一歩の所で、力尽きたか!」。

おじちゃんは大きく喘ぐ振りをして、ぼくを畳の土俵に下ろしガップリヨツ。

すると次のタイミングで、おじちゃんは決ってズッデーン。

大袈裟にもんどり打って倒れ、軍配は見事大鵬に。

ぼくは5歳まで両親と共に、南区の旧江戸町のアパートに暮らした。

丁度2歳の誕生日を2ヵ月後に控え、あの忌まわしい伊勢湾台風が来襲。

当時の我が家はアパートの一階で、あっと言う間に水が押し寄せ、二階のサトウさん()に非難したとか。

昭和30年代には、まだ向こう三軒両隣的な、長屋文化とでも言うのか、相互扶助の精神が十分通い合っていた。

それにも増して、未曾有の大災害を共に乗り越えたことで、アパート住人の連帯はより一層強固なものとなった。

当時サトウさん家は新婚さんで、子供好きなご夫婦にぼくは随分可愛がってもらったそうだ。

その一コマが件の写真。

よく見るとおじちゃんの廻しは兵児帯。

ぼくの廻しは、絞りの浴衣帯。

初めて褌を締められた時、チンコがモゾモゾしたことを未だに覚えている。

翌年我が家はアパートから引っ越し、おじちゃんとの相撲ゴッコも終わった。

やがてサトウさん家には、ノンチャンという可愛らしいお嬢さんが誕生したと、年賀状の便りで知るほど、日々の暮らしに追われ心の距離が開いた。

それでも幾度か母に連れられ、市バスを乗り継いではサトウさん家を訪ね、おばちゃんに抱かれる小さなノンチャンに焼餅を焼いた気がする。

大人になったノンチャンを見たのは、おじちゃんの葬儀の席だった。

ぼく同様一人っ子で育ったノンチャンが、はにかむ様に小さく「オニイチャン」と呼んだ。

ぼくの方が嬉しいやらこそばゆいやらで、何とも居心地が悪かった。

思えば柏戸役のおじちゃんの歳を、ぼくはもうすっかり上回った。

でも残念な事に、素っ裸で絞りの帯を褌に、相撲ゴッコを講じる事などなかった。

いや、そんな相手さえ近所に見当たらなかった。

みんな子供たちはテレビゲームに夢中で。

もう戻れないほど遠くまで来てしまった。

だからあの頃が、無性に懐かしいのだろうか。

さあそれでは、「有松絞りまつり」を1週間後に控えた旧東海道の町並みを、のんびりゆっくり漫ろ歩いてまいりましょう。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「毎日新聞「くりぱる」2006.5.28特集掲載②」への8件のフィードバック

  1. 2歳~3歳の頃って
    67歳になっても薄っすらと覚えていて・・
    伊勢湾台風の猛威は子供心だけどしっかりと記憶に残っていて
    勿論、写真は残っていません。
    「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもんです。
    えっ?
    勿論 ❢
    フラれた女性の方達は覚えてますよ~~ぉ
    今頃、キッと美熟女なっているんだろうな~~ぁ⤴

    1. 遠い日の記憶が鮮明なのは、なんでなんでしょうかねぇ。
      不思議なものです。
      遠い日の記憶を蘇らせる、景色や街並み、そして匂いなんかがスイッチのようで、スーッと幼い日の遠い記憶が脳裏に広がるから不思議でなりません。

  2. 明治45年産まれの 父親 

    着物大好きだった父は 私が物事ついた時から 休みの日は 夕方から着物をイキに着こなし出掛けていました 
    が 今 想うと ??? 
    夜の柳ヶ瀬・・・ 
    これも 営業のお仕事???   
    うんうん ♥

    その時中に 一本だけ 総絞の帯が
    今も大切に ショウノウ ぷんぷんの桐の箱に  ( ◜‿◝ )♡
    息子も結婚する前に 長良川の花火デートの時に しめていきました 
     ෆ╹ .̮ ╹ෆ

    何世代も 綺麗に使って貰えると嬉しいな~  (◍•ᴗ•◍)❤

    1. いいですねぇ。
      そうやって世代を渡る本物って!
      しかし息子さんも嫌がりもせず、お爺ちゃんの帯を締めて長良川花火大会デートに臨まれるなんて、いいお話ですねぇ。

  3. ボクが子供の頃は、春の陶磁器祭り{当時は陶祖祭といいました}には子供相撲大会があり、賑わっていたのを思い出します。生憎、ボクは参加したことは無かったですが。当時はまだ、相撲がポピュラーな存在だったのですねえ~。

  4. あ〜そう言えば 校庭の角に屋根付き土俵がありましたよ。
    時代ですよね。
    いつも 綺麗に整えられていました。
    オカダさん
    子供モデルさんみたいで ポーズがきまってます。

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