「素描漫遊譚」
「土俵上の褌は、なんと絞りの浴衣帯?」
今回の「素描漫遊譚」は、6月3日・4日に開催される「有松絞りまつり」で賑う、旧東海道沿いの歴史と絞りの里が舞台。
絞り商品の販売や、各種のイベントが繰り広げられ、毎年15万人もの人々が訪れる。

忘れ得ぬ一枚の写真。
ちょっと黄ばんだモノクロームの手札版の写真。

そこには小さなぼくと、背高のっぽのサトウのおじちゃんが、共に真っ裸の褌姿で向かい合っている。
「巨人・大鵬・卵焼き」の時代。
ぼくは大鵬を気取り、柏戸役をおじちゃんに押し付け、おばちゃんが軍配を握った事だろう。
言葉以上に言葉を宿す写真。
45年近くも前の事だと言うのに、その写真の映像を思い浮かべるたび、当時の会話が蘇るようだ。
「ハッケヨ~イ、ノコッタ、ノコッタ」。
おばちゃんの掛け声で取り組みが始まる。
大きなおじちゃんはぼくを肩まで抱え上げ、ガリバーのようにノッシノッシと土俵際へ。
「おおっと柏戸強い!大鵬を抱え上げ一気に土俵際へ」。
おばちゃんの巧みな実況中継に刺激され、ぼくは両手両足を振り回し空を切る。
「ああっ、大鵬ついに一巻の終わりか!」。
おばちゃんの絶叫。
「ああっ?どうした柏戸!土俵まで後一歩の所で、力尽きたか!」。
おじちゃんは大きく喘ぐ振りをして、ぼくを畳の土俵に下ろしガップリヨツ。
すると次のタイミングで、おじちゃんは決ってズッデーン。
大袈裟にもんどり打って倒れ、軍配は見事大鵬に。
ぼくは5歳まで両親と共に、南区の旧江戸町のアパートに暮らした。
丁度2歳の誕生日を2ヵ月後に控え、あの忌まわしい伊勢湾台風が来襲。
当時の我が家はアパートの一階で、あっと言う間に水が押し寄せ、二階のサトウさん家に非難したとか。
昭和30年代には、まだ向こう三軒両隣的な、長屋文化とでも言うのか、相互扶助の精神が十分通い合っていた。
それにも増して、未曾有の大災害を共に乗り越えたことで、アパート住人の連帯はより一層強固なものとなった。
当時サトウさん家は新婚さんで、子供好きなご夫婦にぼくは随分可愛がってもらったそうだ。
その一コマが件の写真。
よく見るとおじちゃんの廻しは兵児帯。
ぼくの廻しは、絞りの浴衣帯。
初めて褌を締められた時、チンコがモゾモゾしたことを未だに覚えている。
翌年我が家はアパートから引っ越し、おじちゃんとの相撲ゴッコも終わった。
やがてサトウさん家には、ノンチャンという可愛らしいお嬢さんが誕生したと、年賀状の便りで知るほど、日々の暮らしに追われ心の距離が開いた。
それでも幾度か母に連れられ、市バスを乗り継いではサトウさん家を訪ね、おばちゃんに抱かれる小さなノンチャンに焼餅を焼いた気がする。
大人になったノンチャンを見たのは、おじちゃんの葬儀の席だった。
ぼく同様一人っ子で育ったノンチャンが、はにかむ様に小さく「オニイチャン」と呼んだ。
ぼくの方が嬉しいやらこそばゆいやらで、何とも居心地が悪かった。
思えば柏戸役のおじちゃんの歳を、ぼくはもうすっかり上回った。
でも残念な事に、素っ裸で絞りの帯を褌に、相撲ゴッコを講じる事などなかった。
いや、そんな相手さえ近所に見当たらなかった。
みんな子供たちはテレビゲームに夢中で。
もう戻れないほど遠くまで来てしまった。
だからあの頃が、無性に懐かしいのだろうか。
さあそれでは、「有松絞りまつり」を1週間後に控えた旧東海道の町並みを、のんびりゆっくり漫ろ歩いてまいりましょう。
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2歳~3歳の頃って
67歳になっても薄っすらと覚えていて・・
伊勢湾台風の猛威は子供心だけどしっかりと記憶に残っていて
勿論、写真は残っていません。
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもんです。
えっ?
勿論 ❢
フラれた女性の方達は覚えてますよ~~ぉ
今頃、キッと美熟女なっているんだろうな~~ぁ⤴
遠い日の記憶が鮮明なのは、なんでなんでしょうかねぇ。
不思議なものです。
遠い日の記憶を蘇らせる、景色や街並み、そして匂いなんかがスイッチのようで、スーッと幼い日の遠い記憶が脳裏に広がるから不思議でなりません。
明治45年産まれの 父親
着物大好きだった父は 私が物事ついた時から 休みの日は 夕方から着物をイキに着こなし出掛けていました
が 今 想うと ???
夜の柳ヶ瀬・・・
これも 営業のお仕事???
うんうん ♥
その時中に 一本だけ 総絞の帯が
今も大切に ショウノウ ぷんぷんの桐の箱に ( ◜‿◝ )♡
息子も結婚する前に 長良川の花火デートの時に しめていきました
ෆ╹ .̮ ╹ෆ
何世代も 綺麗に使って貰えると嬉しいな~ (◍•ᴗ•◍)❤
いいですねぇ。
そうやって世代を渡る本物って!
しかし息子さんも嫌がりもせず、お爺ちゃんの帯を締めて長良川花火大会デートに臨まれるなんて、いいお話ですねぇ。
ボクが子供の頃は、春の陶磁器祭り{当時は陶祖祭といいました}には子供相撲大会があり、賑わっていたのを思い出します。生憎、ボクは参加したことは無かったですが。当時はまだ、相撲がポピュラーな存在だったのですねえ~。
だってなんせ「巨人大鵬卵焼き」の世でしたからねーっ!
あ〜そう言えば 校庭の角に屋根付き土俵がありましたよ。
時代ですよね。
いつも 綺麗に整えられていました。
オカダさん
子供モデルさんみたいで ポーズがきまってます。
いやいやーっ、ちょっと恥ずかしい写真ですけどねぇ。