「素描漫遊譚」
「熱田神宮界隈」
今回の「素描漫遊譚」は、あと5日余りで初詣客に賑う熱田神宮周辺へ。

年々正月気分が失われ行く昨今。
しかしこの町の何処かには、きっとまだ日本の正月らしさが、残っていることだろう。
大晦日の夜、母は決ってぼくの枕元に、まっさらのパンツとシャツに靴下を用意した。
我が家の家計の、景気の良し悪しは、そこに新品の上着とズボンがあるかないかで、子供ながらにおおよそ検討が付いたものだ。
元日の朝、父と母に手を引かれ、熱田神宮前の駅を降りると、晴れがましい初詣の正月気分も絶好調となる。
いや正確には、初詣に心がときめいたのではない。
運がよければ、いや母の機嫌が良いままだったら、帰り道の露天で、綿菓子やニッキのパイプが、買って貰えるかもしれないとの胸算用に、心が騒いだだけのことだろう。

しかしその前に一つだけ、どうにも怖くてたまらない箇所を通過しなければならないことを、ぼくは毎年の初詣で知っていた。
駅前から東門へと、人波に飲まれたまま道路を渡る。
狭い歩道のあちらこちらに、白い着物姿に軍隊の帽子を被った傷痍軍人の方々が、幸せそうに連れ立って歩く家族連れや、カップルを目で追うわけでもなく、ぼんやりとした視線を投げかけていた。

中には戦争で片手や片足を失った方もいた。
ぼくは子供ながらに、何ともせつない想いで一杯になり、元軍人の方たちを正視することなど出来なかった。
戦地に赴き無事帰還できた父は、通りすがりに軽く頭を垂れ、ポケットからわずかばかりの小銭を、こっそり差し出していた気がする。

その一角を通り過ぎると、父は小声で必ずぼくに囁いた。
「あの人らが戦地で失のうた、手や足の犠牲の上に、今の日本の繁栄があるんや。ええか、忘れたらあかんのやで」。
幼かったぼくには、先の大戦の是非などまったくわからなかった。
ただ子供心に、傷付いた元軍人さんの姿と、戦争の悲壮さを焼き付けたものだった。
敗戦から今年で60年。
神宮脇の歩道に、もうあの傷痍軍人の方々はいない。
一人また一人と、昭和の歴史の中へと還られたことだろう。
今年の初詣もきっと、平和な日本に生まれた、戦争を知らない者達で賑わいを見せる。
そして誰もが、家内安全・恋愛成就・合格祈願と、身の丈サイズの幸せを神に乞うことだろう。
でもどうか忘れないで欲しい。
この国にもわずか60年前には、戦争があったことを。
そしてこの国を護ろうと、命を投げ出された人たちがいたことを。
ぼくも今年の初詣は、自己中心的なお祈りに併せて、戦争で犠牲になられた先達へのお礼も、忘れないでおきたいと想う。
さあそれでは、5日後の大晦日から賑わいを見せる、名古屋市熱田区の神宮界隈を、一足お先にのんびりと漫ろ歩いてまいりましょう。
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熱田神宮か~ぁ⤴
もう、数十年ご無沙汰しているけど
思い浮かぶのが、妙に覚えている
「♬やさしい森には~~神話が~ぁ♬」って歌
そんな意味ではCMソングって大事だよねぇ ❢
*大事と言えば・・
オカミノファミリーの皆さんの安否
昔は「便りのないのは良い便り」なんて事を言ってたけど
そんな事言ったって心配は変わらないよねぇ⤴
人それぞれの人生を、各々必死に生き抜いているのですから、無理強いはしちゃあいけませんよねぇ。
子供心に片足の無い傷痍軍人さんは怖かったです。
オカダさんは最近、熱田神宮に行きましたか?
宮きしめんがキレイになっていたり、駅前のパレがuプラットに変わっていたりと驚きが一杯ですよ。
熱田さんの周りを通ることはありますが、もう4~5年はご神域に足を踏み入れちゃいませんねぇ。
不信人ものですねぇ、まったく!
熱田神宮には振袖を着て
姉と詣でました。
中年のご夫婦にそれはそれは
気に入ってもらえて 写真を撮って貰いました。懐かしいです。
そいつぁーいいご体験でしたねぇ。
熱田神宮は、ついつい亡き両親を思い出して仕方ない聖地です。
ちょっと気持ちが沈んでいる時は 両親と初詣に訪れた 金神社や伊奈波神社行く事にしています ( ◜‿◝ )♡
帰りは 高島屋さんでお菓子を買って
ハッピーな気分 ♡(ӦvӦ。)
❖思い出しました❖
幼少の頃 金神社や柳ケ瀬界隈で 戦争で手や足を犠牲にした元軍人さん達を見かけたとき 私も母に尋ねたことを!
もう 二度と ・・・
プー◯◯ さん 早く やめて〰〰
(。•́︿•̀。) おねが〰〰い
人が人を殺める戦争という歴史は、いったい何のために彼の奴は望んで、自ら歴史上の極刑に処された戦犯となろうとしているのか、ぼくにゃあ全く理解に苦しんでしまうばかりです。