2001年1月9日 毎日新聞朝刊掲載
「世紀越え大カリーパーティー」
大晦日、午前10時10分。
カリーテンプルゲート前正面には日本の七士、そして右側に外国人僧りょのテラワダ僧(上座部仏教)約30人、左手に外国人僧侶のラマ僧(チベット・ラマ教)約30人が集まり、読経が始まった。
日本のお経に続き、テラワダからラマのお経へ。
それぞれの国の僧侶たちの祈りは、真新しいカリーテンプルに魂を吹き込み、ブッダの聖地に生を授ける。
大晦日、午後5時。
ゲート前には、既に多数の村の子供たちが列を成し、カリーパーティーの始まりを今や遅しと待ち構えている。
午後6時30分。
カリーテンプル中庭に設けられた特設ステージで、セレモニーがスタート。
七士の加藤代表からの挨拶に続き、トラストのジャガット理事長の祝辞へと続く。
もう既にカリーテンプルに隣接する公道は、パーティーを待ち侘びる老若男女の、村人約500人程で埋め尽くされている。
大晦日、午後7時。
パーティー会場には、最初の村人たち180人が入場。

約8割が子供で、残りは子供を持つ母親と老人達で占められた。
あたかも無秩序に並んでいるかに見えた村人たちだが、その実子供や小さな子を持つ母親、それに老人と身体の不自由な村人は、優先的に会場内に送り込まれ、健康な若者や男達は、会場の外で気長に順番が来るのを待ち続けていた。
後になって気付いたものの、村人たちの連帯感の強さと、思いやりに満ち溢れている姿勢に、見習うべき点の多さを感じた。
会場内には、このパーティーのためのツアーで、日本の全国各地から参加した50名と、ブッダガヤを訪問中の8人の日本人も加わった。
村人たちは、会場のカーペットの上に座り込み、カレーの配給を待つ。
まず最初にサラサの葉を組み合わせて乾燥させた、直径約30㎝のお皿が配られる。
次にインディカ米、そしてステンレス製のバケツに取り分けられた、チキンや野菜、それに豆のカレーが盛り付けられていく。
また油で揚げたプリと呼ばれるパンと、牛乳と麦で作られた甘く冷たいお団子のようなデザートが添えられ、これで一人前が完成。
老若男女とも、分量は全く同じ。
会場内には、ヒンディー語が飛び交い、右手だけを巧みに使っての賑やかなディナーパーティーの宴が始まる。
一列に並んで、カレーをむさぼり、喜びを分かち合う兄弟姉妹。
孫と隣り合わせて座る老人は、民族楽器のシタールとドラムの生演奏に合せ、身体を揺すりながら歓喜を表した。
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インドの方達は
現在も、右手で食べるんでしょうか?
日本人にはムリ⤵?
「郷に入っては郷に従え」なんてことわざがありますが
私には絶対に出来ません❕
直ぐに衛生面の事を考えるもんねぇ
潔癖ではありませんが、なんか?気持ち的に・・
やっぱ、スプーンで食べたいねぇ❢
以前テレビでやっていたけど
最近、一部の若い人達は「ポテトチップス」を箸で食べるとか・・
携帯がポテトチップスの油で汚れるのが嫌なんだそうです。
ぼくも家でポテトチップスやらアラレを食べる時、やっぱり箸を使って昔から食べたりしてます。
指先が油ギッシュになったり、アラレの表面のお醤油が、指先にネッチョリ付くのが嫌だから!
でも外ではそんなわけにゃあ行きませんから、指先でちゃんと掴みますが、指先についた油やら醤油や塩を舐めて拭ったりしてたものです。
しかし今はコロナで、それも危険行為かも!
日本じゃ、人の集まる所、警備員あり!!だよねぇ。みんながみんな、譲る気持ちを持っていればトラブルは避けられるのかも。
その通り!
だって整理券も無ければ、ローピングもされていなくたって、普通に弱者を優先する姿に目を見張ったものでした。
連帯感の強さと思いやり
もし 今の日本で同じ状況になったとしたら どうなるだろう。
我先に… だけは勘弁だなぁ〜。
それにしても このパーティーの為のツァーがあったとは! ( ◠‿◠ )
思いやりって、頭で考える者じゃなくって、幼い頃に普通に眺めていた景色の一連として、勝手に体が反応してこそ生まれる人知を超えた人としての行為かも知れませんねぇ。