「昭和懐古奇譚~大は小を兼ねる!刃傷(にんじょう)松の廊下」(2018.3新聞掲載)

「大は小を兼ねる!刃傷(にんじょう)松の廊下」

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東京銀座の中央区立泰明小学校が、高級ブランド「アルマーニ」監修の制服、一式9万円にも及ぶものを採用するとかしないとかで、先だって来おおいに物議を醸しだした。

その記事に触れながら、小学6年の今頃をつい懐かしく思い出した。

「何はともあれ、3年間は持たせなあかんで。どうせならこれくらい大きい方がええんやない?」。

お母ちゃんに伴われ、小学校卒業を目前にした、バス停前の洋品店「マルエ」の店内での事。

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この「マルエ」は、ぼくが通学する中学校指定の制服を扱っており、店内は同い年の男女とその母親らで、てんやわんやの大騒ぎ。

どこの家でも同じような会話が、交わされていた。

「皆さん大は小を兼ねるゆうて、3サイズくらいは大きいな、ブカブカの制服を選んでかれるよ」と、客の対応で天手古舞な「マルエ」のオバちゃん。

「さあ、いっぺん学生服に袖通して、ズボンも履いてみ!ズボンの裾とか胴回りやら、制服の袖の長さを直したらなかんで!」と、「マルエ」で買ったばかりの、ボール紙製の衣装箱から、母が学生服を取り出した。

すると「お父ちゃんも、お前の制服姿、いっぺん見せてまわなかん」と、父まで卓袱台を片隅に寄せ、ビール片手に早くも地歌舞伎の大向うの観客のよう。

すると茶の間の座敷の真ん中まで、まるで小さな舞台のようではないか!

お母ちゃんに言われるまま、試着が始まった。

学生ズボンの胴回りはどうみても、もう一人ぼくが入れるのではないか、と思えるほどのブカブカ。

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しかもズボンの裾は、足の裏から優に30cm以上も長く、畳の上を引き摺る格好だ。

すると赤ら顔した父が、「いよっ、浅野内(あさの)匠頭(たくみのかみ)!刃傷松の廊下や。『各々方(おのおのがた)、 各々方!お出合いそうらえ! 浅野殿刃傷にござるぞ!』」と、囃し立てる。

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お母ちゃんがズボンの裾を折り返し、待ち針を打ちながら笑い転げた。

ぼくはブカブカダボダボの学生服を羽織らされたまま、この先の中学校生活が妙に思いやられてならなかった気がする。

銀座の小学校のアルマーニの制服ほどではないにせよ、両親にすれば小学生から中学生に上がる時の出費は、そりゃあ並々ならぬものがあったことだろう。

現にぼくの同級生でも何人かは、お兄ちゃんやお姉ちゃんのお下がりだと言う、着古された学生服やセーラー服で、入学式に臨んだ者も間々あった。

その点わが家は一人っ子のため、何から何まで新品で揃えるしか手立てはなく、お母ちゃんの遣り繰り算段も、さぞや大変だったに違いない。

だから学生服だって、体の成長に応じ3年間で2着も3着も、その都度買い替えるなど以ての外。

となれば後は、母の得意の洋裁に物を言わせるしかない。

3サイズも大きな学生服上下を、まずは手頃なサイズに縮め、その先はぼくの成長に応じ、胴回りも袖も裾も、折り畳んで隠してあった生地を、徐々に伸ばして行けばよい。

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あの時代は、どこのお母さん方も同じ考えだったようだ。

何故なら、ズボンの裾も上着の袖も、2年生になると1本線が入り、3年生になると2本線が、まるで皆で申し合わせたように、くっきりと浮き出していたのだから。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和懐古奇譚~大は小を兼ねる!刃傷(にんじょう)松の廊下」(2018.3新聞掲載)」への4件のフィードバック

  1. 小学校の頃の私服って
    一年365日、白い体操服
    今みたいに、ジャージーなんてなかったからねぇ❢
    それこそ、柳ケ瀬に出掛ける時は
    いっちょらいの服を着て行く・・
    中学生になると、まだ、ジャージーなんてなかった。
    中学2年か?3年になると、
    やっとジーパンがちらほらと世間に出て来た。
    憧れのBig john❢けど、中々高価ですから
    小遣いを貯めてやっと買う事が出来た。
    下はジーパンで、上着は何を?着ていたのか?
    全く覚えていない❢

    1. ぼくが初めて買って貰ったジーンズは、確かボブソンだった気がします。
      ここ何十年かは、ユ〇クロなどの格安ジーンズばかりです。
      でも安物でもけっこう長い間履けるものですよ。

  2. 私は双子なので 小学校でのブレザーの制服や体操服から始まり高校生まで 全てが2倍! 本当に大変だったと思います。
    息子達が養護学校在籍中は 年に一回のバサーの時 制服や体操服が売れる売れる…。養護学校は 小学部から高等部まで一度に見渡す事が出来るから こういう時に早目に準備するお母さん方が多いんです( ◠‿◠ ) 息子達の制服も卒業後に学校に寄付しました。体操服は 今では寝間着になってます(笑)

    1. ぼくは兄弟がなかったので、お下がりの恩恵を受けられませんでした。
      夢ちゃんのご両親は、2倍のお誂えで、それはそれは大変でいらっしゃったと思います。
      家のお母ちゃんも家は一人でしたが、それでも自分は着たきり雀で、その都度制服やら体操着やらを工面してくれていたものです。

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