「昭和懐古奇譚~中学進学への断髪式?」(2017.3新聞掲載)

「中学進学への断髪式?」

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♪仰げば尊し わが師の恩♪

小学校の卒業式。

隣の列の女子たちは、ハンカチでみな目頭を押さえている。

実に清らかな涙だ。

釣られて胸がグッと熱くなり、これまでの6年間の想い出が()ぎる。

つい涙が込み上げそうになった。

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しかしぼくら男子は、否が応でも避けては通れぬ、中学進学への忌まわしい儀式の事で頭が一杯であり、そうそう女子の様に手放しで卒業の感涙に咽てなどいられない。

昭和半ばの頃は、ほぼ全員と言っていいほど、地元の公立中学へ自動的に進学するのが庶民の常。

だから卒業式が終わるやいなや、中学進学への準備に追われた。

何はともあれまずは、母に伴われ中学校指定と貼り紙を掲げた、近所の洋品店で学生服を購入。

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「中学3年の間で、体が大きなってもええように、最初は少々ダブダブでも、とにかく大きな寸法のにしてな」と、母が洋品店のオヤジに告げる。

試着してみれば、袖は指先が隠れるほどに長く、肩幅も身幅もブッカブカ。

ズボンのウエストだって、ベルトで締め上げねば、そのままずり落ちるほどだ。

一方裾はと言えば、映画やTVでお馴染みの赤穂浪士で、藩主浅野内匠頭が長袴を引き摺りながら、吉良上野介に斬り付けるあのシーンさながら。

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まるで「殿中でこざるぞ!」と、そんな台詞がどこからともなく、飛び掛かってくるようだった。

すると母が「ズボンの裾は家で裾上げするで、そのまんまんでええで切らんといてよ」と。

その夜母が裾を内側へ折り上げ、手縫いで仕上げた。

だからズボンの裾の先っちょは、膝っ小僧の下まで折り返されていたものだ。

だから中学を卒業するころには、裾の位置が背比べの柱の傷の様に、真っ白な横筋となり2本の線が克明に刻み込まれていたほどである。

そしていよいよ入学式前日。

横丁の床屋の前は、同級生の男子で長蛇の列。

まるで大晦日かと見紛うほどだ。

誰もが考えることは同じ。

中学の校則に沿って、強制的に毬栗頭の五分刈りにされるのを、一日伸ばしにしてきた証である。

次から次へと、まるでベルトコンベアーに乗った一休さんのように青々とした、立派な五分刈り頭に丸められた同級生たちが、恥ずかし気な表情を浮かべ床屋から飛び出してくる。

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あ~あ、いよいよ次はぼくの番だ。

神妙な面持ちで床屋の椅子に掛けると、オヤジは何の感情も表さず、微塵の躊躇もなく、至って機械的にあーもすーも無く、無情にも電動バリカンを走らせる。

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これまで慣れ親しんだ我が髪に、せめてもの別れを告げる間も無く、バッサバッサと塊のままぼくの髪が目の前を落下してゆく。

まるで不格好な姿勢に座らされ、ツンツルテンに毛刈りにされる哀れな子羊の心境であった。

俯きながら家へと帰り付いた。

すると開口一番母は、「おーおー、すっかり青光りして。でもよう似合っとるわ!そんでもこんだけ短こうしたら、もうシャンプーもほとんど使わんで済むやろで、お母ちゃんも大助かりやわ」と。

中学の3年間は、固形石鹸で頭を洗わされた。

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洗濯板でゴシゴシとメリヤスでも洗うかのように。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和懐古奇譚~中学進学への断髪式?」(2017.3新聞掲載)」への10件のフィードバック

  1. 学生服って
    イイよね~ぇ⤴対外、誰にも似合うと思う❢
    勿論❢セーラー服もイイよね~ぇ⤴
    えっ?くれぐれも変な意味はないので・・
    中学入学の時は流石におニューの学生服でしたが
    成長して着れなくなったら、兄貴が居たので
    そのお古でした、新品より、「拍」が付いて良かった❢
    上着にズボン、クロ光していたもんねぇ❢

    1. 3年間も着るものだから、お尻や肘とかツルツルテッカンでしたねぇ。
      でも今にして思えば、かなり丈夫な物だったですものねぇ。

  2. そうでしたねー!ところが、多治見市内でも2校だけ頭髪自由の中学校がありまして、たまたまボクはそのうちの1校でした。内心「よかった~」と思いマシタ。

    1. そいつぁー羨ましい限りです。
      でも洗髪は楽だし、すぐ乾いちゃうから、ドライヤーいらずでしたよ。

  3. 男子は坊主頭では無かったはず。で、記憶違いかと中学の卒業アルバムで確認してみました。A組からH組までの8クラス。みんな、髪の毛がありました。
    まぁ、都会でしたからねぇ⤴️冗談です❢

    1. いいなぁ、都会の中学生は!
      実に羨ましい限りです。
      でも坊主頭の校則が無きゃ、きっと坊主頭には未だしてないでしょうねぇ。
      まあ、貴重な3年間だったかも!

  4. 私達の頃は ちょうど切り替わりの時で中学三年で分校となり 新しい校舎での第一期生。丸坊主にしなくても良くなり新一年生男子は フサフサの黒髪(笑)
    でも 野球部だけは丸坊主だったかな⁈
    卒業してから五年後に同窓会を開いた時は やけに格好つけてる(髪型)男子に 女子一同苦笑しておりました。

    1. そうなんですよねぇ。
      男どももリーゼントヘアーを自慢するヤツらもいましたねぇ。
      ヘアスプレーでガッチガチに固めて!
      こだわってるヤツらもいましたいました!

  5. 私達 女子も校則では、肩にかからないようにカットするか、三編みでした !!
     
    私はそれ迄 ロングだったので、迷いましたが 中学入学前に、肩よりも少し上でカット
     ෆ╹ .̮ ╹ෆ 

    なんだか自分じゃないようで 何度も何度も鏡を見つめていましたね ♡(ӦvӦ。)

    中学卒業後は 又 憧れだったロングに

    ずっと伸ばしていましたが 昨年夏 久しぶりに ショートに イメチェン
     (*˘︶˘*).。*♡
       

    1. 時にはヘアスタイルでイメージチェンジってぇのも、いいものですねぇ。
      ぼくも若い頃、そんな思いでパーマをかけたら大変!
      そりゃあもう似合わなくって似合わなくって、早くストレートヘアーに戻りたくって仕方なかったものです。

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