

梅雨の晴れ間を待ちかねて 鮎を開いて一夜干し
軒の網籠眺めやり 宵も来ぬのに空手酌
炭火で炙りゃ薫り立つ 長良の鮎の香ばしさ
さすがに籠の大仏も こりゃ堪らぬと南無阿弥陀

「柳行李と総入れ歯」
「あんたの夏もんは、押入れの柳行李の中やて。行李の横の名札入れに、父ってマジックインキ(インクではなく、母はこの世を去るまでインキと、頑なにそう呼び続けた)で書いたるわ」。

梅雨入り前の衣替え。
日曜の朝から部屋中に、樟脳の臭いが立ち込めた。
飴色に焼けた年代物の柳行李は、丈夫で通気性が良い。
湿気の多いこの国の風土に適した、高級桐箪笥にも劣らぬ傑作。
しかし高度経済成長と共に、庶民の暮らしにも、安っぽいデコラ張りの洋服箪笥や、プラスチック製の収納ケースが蔓延り、柳行李は姿を消した。

「うわぁぁぁ~っ!」。
突然、父の腑抜けた声がした。
押入れから柳行李が引きずり出され、上蓋は開いたまま。
その傍らで父が尻餅を付いている。
「ちょっと!なに大声張り上げとるの!」。
何事かと訝る母と行李の中を覗き込んだ。
すると肝油のブリキ缶の蓋が開き、中からガッと口を開いた総入れ歯が、転がり出ているではないか。

この事件より遡ること半年。
父が病で入院し母が付き添うことに。
ぼく一人を家に置いてはおけぬと、母方の祖母がやって来た。
一尺(約30センチ)四方の、小振りな持ち運び用の柳行李を抱えて。
祖母との生活は、2週間ほど続いた。
待ち焦がれた父の退院の夜。
看病疲れで台所に立つ気力も無いと、渋ちんの母にしちゃあ滅法贅沢な、寿司屋の出前で快気祝い。

やがて祖母と母の二人は、お銚子を空にしすっかり赤ら顔。
病み上がりの父は、そそくさと寝床へと引き上げた。
しばらくすると、座敷でごろ寝の祖母と母が、高鼾合戦を開始。
起き出す気配も無いので、ぼくは仕方無く鮨桶を片付け始めた。
すると空の湯呑みに祖母の総入れ歯が。

実に習慣とは恐ろしい。
酔っ払っても寝入る前に、誤飲せぬ様入れ歯を外したのだ。
ぼくは祖母の褒美を当て擦り、入れ歯を洗い肝油の空き缶に入れ、ご丁寧に祖母の行李の中へと片付けた。
そこへ祖母と同居する叔父が、迎えにやって来たのだ。
叔父は祖母の荷物を行李にまとめ込み、酔っぱらった祖母を抱きかかえるようにして車に乗せた。
祖母が帰ると行李のあった場所に、肝油の缶だけがポツン。
「しまった!」。
しかし、時既に遅し。
このままでは、入れ歯の行方を巡り有らぬ疑いが向けられる。
そう瞬時に判断したぼくは、母を起こさぬようそっと押入れを開け、父の行李の中へと肝油の缶を隠したのだ。
翌日叔父から、入れ歯を忘れてないかと連絡が。
しかし母は寝入っていたため、一連の事情も知らず、入れ歯の行方は杳(よう)として知れぬまま、やがてうやむやとなりお宮入り。
ぼくは大事に至らずこれ幸いとばかりに、すっかり後の始末も怠ったまま半年が過ぎた。
そこへもって、寝耳に水の衣替えである。
ついに動かぬ証拠を衝き付けられ、ぼくはもう何の申し開きも出来ず、ありがたく拳骨を頂戴する以外、成す術も無かった。

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飴色の柳行李 ありました〜 ありました〜 (. ❛ ᴗ ❛.)
実家にも、魚の行商をしていた祖母の家にも、そして板前さん達の部屋の押入れに入ってましたよ ( ◜‿◝ )♡
衣替え❢
先月秋めいて来た時、いつものように夏物を手洗いし 秋物へ衣替 ★
でも 今年は ちょっと早すぎた〰〰〰
(。•́︿•̀。)
我が家も ずっと ずっと 樟脳は欠かせませ〜ん (お嫁ちゃんも 使い始めました)
最近は 無臭タイプですけどね 〜 ❣️
入れ歯事件 大変でしたね (◠‿・)—☆
父は ずっと湯呑みに ドボ〜ン
衣替えからしばらくの間、樟脳の匂いが消えなくって、鼻に着いちゃったものでした。
今日も暑かった!
このまま行くと12月はどんな気温になるのか?
冬は来るのか?雪は降るのか?
まぁ~⤴
冬は冬らしく来てくれる事を祈るばかりです。
本当にTシャツ一枚の日々が、未だに続いてますもの。
まあ、洗濯物が少なくって助かりますけどねぇ。
蓋を開けたら入れ歯が!
これは 事件ですよ!(笑)
笑わせてもらいました。
でも おばあちゃんは 大変だったでしょうね。また新しく入れ歯を作ったんですよね⁈
オカダ少年 悪よの〜( ◠‿◠ )
祖母と同居していた叔父が慌てて取りに来たものです。
新たに総入れ歯を作り直したら、そりゃあもうまた散財することになってしまいますからねぇ。