
『カッポーン、カッポーン。筋肉質の男の裸体。風呂上り』。
たったこれだけのヒントでピーンと来たならば、あなたは立派な昭和の生き証人である。
時は昭和39年。
戦後の焼け野原からの見事な復興振りを、東京五輪が世界中に知らしめた。

同年12月、プロレス界では大相撲出身の豊登が、宿敵ザ・デストロイヤーを破りWWA世界ヘビー級王座のベルトを奪い取った。

戦後19年とはいえ、戦地を流転した父なんぞは、B‐29を陸軍の三八式銃で撃ち落したほどの喜びようだった。
夕飯を終えた客でごった返す銭湯。
脱衣場はまさに、国府宮の裸まつりさながら。

番台の上の時計が8時に近付くと、男湯の脱衣場は静まり返り湯船はもぬけの殻。
男たちは入り口脇に鎮座する、白黒テレビに熱い視線を送る。
風呂屋のオヤジが厳かにテレビのスイッチを入れた。

だが今とは異なり、直ぐに映像は映し出されない。
真空管テレビの時代である。
箱の奥の方から、ゆっくりと映像が浮かび出で、徐々に大きくなって画面一杯に収まる。
すると脱衣場では「待ってましたあ!」の掛け声や、ヤンヤの喝采。
誰もが片寄せあい小さな画面に見入り、一喜一憂の雄たけびを上げる。

こんな状態のまま番組終了を迎えるのだ。
すると男たちは豊登気取りで、裸のまま両足を肩幅より大きく開き両手を広げる。
そして弾みを付けながら真下へと振り下ろし、その勢いで弧を描くよう体の前で交差させ右の拳を左脇へ、左の拳で右脇を絞める。
するとあちこちから、カッポーン、カッポーン。
中には「カパッ」や「ペシャ」と、腑抜けた音がした。
「ちょっとう、あんたたち!いつんなったら帰るつもり!ええ加減湯冷めしてまうがね!まあ置いてくでね!」。
女湯の脱衣場から、怒りを露にする母の声が響いた。
慌てて父と身支度を整え家路へ。
さっきまで豊登になった気でいたのに、もうそれどころじゃない。
家では世界チャンプ以上に恐ろしい母が、手ぐすね引いて待ち構えているはずだから。

「そうやて。あんなころはどこも一緒やわ。家のお客さんもみんなしてカッポーンやて」。
長良橋を北へ渡った長良北町商店街。

その一角にある福寿湯の女将林茂子さん(74)は、男湯と染め抜かれた暖簾を掛けながら笑った。

茂子さんは昭和10年、旧三田洞村で5人兄姉の末子として誕生。
二十歳の年に叔母の紹介で林家に嫁ぎ、一男一女を授かった。
「本当なら端午の節句は、菖蒲湯せんとねぇ。でも10年ほど前に、やめてまったであかんわ。昔は手拭い縫って袋にして、菖蒲の葉を3㌢ほどに刻んで、蓬と一緒に入れて薬湯に浸け込んだもんやて」。

茂子さんは懐かしげに脱衣場を眺めた。
邪気を祓う風呂屋の菖蒲湯。
脱衣場に木霊したカッポーンの音。
昭和の風情が、また一つ遠のいて往く。

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今の銭湯はどうなのか?分からないけど・・
昔の銭湯の下駄箱のカギは10センチ位の「木」だったよねぇ!
脱衣場のカギは錆びないようにアルミで出来ていて・・
混んでいる時などは「カゴ」に衣服を入れていた。
それでも取った取られたって騒ぐ人は居なかった。
たまに履物を間違える人は居たけど・・
けど、あくる日には、戻ってきたし!
スーパー銭湯と違って昔の銭湯はアットホームな気がする。
そうでしたねぇ。
木札の下駄箱のカギ。
自分の好きな野球選手の背番号と同じ番号の下駄箱が空いていないとガッカリしたものでした。
今の所に移り住んだ頃は、近くにお風呂屋さんは3軒ほどありましたが、今は某有名なスーパー銭湯だけになってしまいました。名古屋市内に今も頑張って営業してるお風呂屋さんってあるのかしら。
昔はお風呂屋さんの煙突は、一つの町のシンボル、ランドマークのような存在でしたが、今じゃあビルやマンションが林立して、お風呂屋さんの煙突だって埋没しちゃってますよねぇ。
懐かしいなぁ。
菖蒲を刻んでお風呂に入れる…
刻むとは気付きませんでしたね〜。
冬至に柚子 端午の節句に菖蒲 未だに入れてます。菖蒲を頭に巻いてあげたりして。
私が好きでやってて でも 願いも込めてますよ。
柚子を入れた時は みかん大好き長男がかじってしまうので その時だけ早急に撤収しちゃいますけどね(笑)
ぼくも子どもの頃お風呂にミカンを浮かべ、遊んだものです。
そして風呂上がりに炬燵に入った、中途半端に温かいホットミカンを食べてものでした。
豊登のマネ、僕らもやってましたよ。サンダー杉山の尻餅ナントカや、吉村道明の回転エビ固めetc 。これらは必殺技でした。演技かどうか走りませんでしたが、実に楽しかった牧歌的な日々でした!
子どもの頃って、皆が皆憧れのそんなレスラーになりきって、他愛もなく真似事遊びに講じましたものねぇ。