昭和がらくた文庫82話(2017.09.21新聞掲載)~「うちの女房にゃ 髭がある?」

♪パピプペ パピプペ パピプペポ うちの女房にゃ 髭がある♪

小学校の分団登校の集合場所。

何気にぼくが口ずさんでいると、近所の同級生の女子に笑われた。

「ミノ君家のお母ちゃんって、チョビ髭なんて生やしとったっけ?」と。

昭和半ばのあの頃。

まだまだステレオなんて、そんじょそこらで見掛けたことなんて無かった。

当時はスピーカー内臓の、ポータブルプレーヤーの全盛期。

写真は参考

レコード盤だって、78、45、33回転と、回転数も異なっていた。

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ドーナツ盤もあれば、小学1年生とかの付録に付いていた、赤や青の向こうが透けて見える、薄っぺらなソノシートまでが混在。

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だから当時のわが家にも、いかにも安物といったポータブルプレーヤーがあった。

おまけにレコード盤と来たら、たったの4枚こっきり。

お父ちゃんの好きだった、軍歌のLP盤が一枚。

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それにお母ちゃんがうっとり聞き入る、鶴岡正義と東京ロマンチカの「君は心の妻だから」。

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そしてぼくの、付録のソノシートが一枚。

何より極めつけの一枚は、お父ちゃんがこっそり、ボリュームを落とし聞き耳を立て、嬉しそうに聴いていた、美ち奴姉さんの「うちの女房にゃ 髭がある」だ。

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晩たび父は、煙草を燻らせながら、庭の片隅にある犬小屋の側に佇み、老犬ジョンにでも聞かせるように装い、口ずさんでいた。

だからぼくもすっかり、その如何にも調子のいい、旋律と歌詞が身に付いてしまったようだ。

参考資料

この曲は、女房に頭の上がらぬ、さえぬ亭主の心情を、実にコミカルなタッチで歌った作品である。

確かに父も、母に怒鳴られはせよ、逆に母を怒鳴った姿も、ましてや一度たりと、母に手を上げた事などなかった。

それにどんな母の手料理でも、一度も「まずい」などと聞いた試しもない。

むしろ「旨い旨い」だけを繰り返した。

今さら父の本心はわからぬ。

しかし父は、自虐的に「うちの女房にゃ 髭がある」と口ずさむことで、合縁奇縁の夫婦の荒波を、泳ぎ抜いたのかも知れぬ。

天晴れ!父ちゃん!

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫82話(2017.09.21新聞掲載)~「うちの女房にゃ 髭がある?」」への8件のフィードバック

  1. 私が若かりし頃の昭和歌謡
    思い出せば何となく歌えるけど・・
    平成、令和のJ-pop、題名か?グループ名か?
    何だか?サッパリ訳が分からん!
    まぁ~⤴オジサンと言う事だねぇ!
    でもさぁ⤴オカダさんのオリジナル曲も平成だけど
    オジサンが歌ってるから、馴染んで覚えれるんだねぇ!キット⤴

    1. その世代その世代の心に残る名曲ってあるものですよねぇ。
      ぼくも頑張ってそんな楽曲を作ろうっと!

  2. ヒゲと言えば、オカダさんのヒゲはまだあるのでしょうか?伸ばすきっかけは何だったのでしょう。

    1. ぼくの髭は伸ばしたままですよぅ。
      きっかけは何となくなすがままにって、そんな心境になったからでしょうかねぇ。

  3. お父様ナイスです!
    奥さんの前での姿、曲を口ずさんでる時の姿 どちらもご本人( ◠‿◠ )
    自然な姿だから 尚更ナイス!
    「旨い」「ありがとう」なんて一度も聞いた事がない私にとっては お母様が羨ましいです( ◠‿◠ )

    1. 「旨い」「ありがとう」って、良好なコミュニケーションを確立するうえで、最大かつ最も簡単な一言のように思っています。
      でもきっと、心の中では「旨い」「ありがとう」って呟かれていても、言葉にするのが照れ臭いってこともあるんじゃないでしょうか?

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