父は温厚で、いつも母の尻に敷かれっ放し。
だから陸軍歩兵部隊として、中国戦線を戦い抜いたとは、到底信じ難かった。
昭和の半ば。
白黒テレビの「コンバット」が始まると、って何もゴキブリ駆除の話しではない。

それは第二次世界大戦下、米軍歩兵部隊の活躍を描いたテレビドラマである。
毎週欠かさず、父と食い入るように見入ったものだ。

当時の男坊主の遊びと言えば、チャンバラゴッコに戦争ゴッコが相場。
友と戦争ゴッコに高じていた時の事だ。

ヨッチャンが、野良犬に脹脛を噛まれる事件が勃発。
狂犬病を恐れ直ちに病院へ。
当時家の近所を根城にする野犬が3匹もいた。

友を噛んだ一番獰猛な、通称「ボス」。
尻尾を丸めその後に付き従う「子分」。
そしていつもヨタヨタと、片足を引き摺る老犬の「爺」。
ぼくらはヨッチャンの仇討を誓い合い、お宮の境内で戦争ゴッコに高じていた。
するとヨタヨタと「爺」の姿が。
正に飛んで火に入る夏の虫ならぬ老犬。
まずは銀玉鉄砲の集中砲火。
玉が尽きるや、生垣の竹の棒を引っこ抜き、友の一人が見事に尻を打ち据えた。
キャイ~ン。
「こらっ!やめんか!」。
突然自転車の軋むブレーキ音が響き、野太い声が遮った。

「あっ!」。
物凄い形相の父が現れ、「爺」を庇った。
「お前ら寄って集って、体の不自由な老犬を甚振るとは何事だ!」と一喝。
敢え無くぼくらの戦意も喪失。
「爺」はヨタヨタ薮へと消え入った。
「噛み付いたのは、あの老犬やないやろ?罪の無いものに、そんな仕打したらあかん」。
いつの間にか温厚な父に戻っていた。
あの憤怒の形相は、負け戦で多くの戦友(とも)を失った父が、ぼくらを諭そうと演じた、一世一代の茶番劇だったのか。
父は老いた野犬の姿に、戦地を追われ逃げ惑った、若き日の自分の姿を、重ね合せたのかも知れぬ。
だがそんな茶番ならまだ許せよう。
これがもし、国の行く末を論ずる国会の場で、そんな慣れ合いの茶番が演じられているとしたら、この国の先行きは…。
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昔は野良犬っていましたねぇ。野犬狩りもありました。家の向いにちょっと大きな衣料品店の寮があり、犬を飼っていたのですが、時々脱走しては野犬狩りに捕まってました。笑っちゃいましたよ⤴️
家の老犬ジョンは、首輪抜けの達人で、野良犬と間違われることもしばしばでしたぁ。
そう言えば最近「野良犬」見なくなりましたねぇ!
子供の頃には、結構、野良犬がいたと思う
よく学校帰りに見かけて、口笛吹くとついて来た。
私達の子供の頃は、棒切れがあれば何でも出来た!
順番にヒーローにもなれたし、悪者にもなれた。
今の子供達から見れば幼稚だと思う!
遊びの原点は、ひょっとしたら「棒切れなのか?」
今どきは、そんな魔法の棒切れだって、そんじょそこらに落ちちゃいませんものねぇ。
言われてみれば見ませんね。
時々 猫を見かけるぐらい。なんならイタチや川にはヌートリアがいたりして。
ここはどこ〜(笑)
息子達が 散歩中に猫を見つけようものなら「猫ちゃん!」と言いながら飛び跳ねて逃げております( ◠‿◠ )
予測無しに現れる物には対処出来ないのである。
昨日、ある老人ホームの庭に茂る木々の周りを、赤とんぼが群れになって気持ちよさそうに舞っていました。
施設の中のご老人は、黄昏れゆく西の空と赤とんぼを、どんな思い出眺められていた事やら。
いずれにせよ、やがてゆく道ですねぇ。