昭和がらくた文庫23話(2012.10.25新聞掲載)~「母に賜りし体内時計」

「チックタック チックタック ボーンボン」

昭和34年の伊勢湾台風で我が家は被災。市営住宅の抽選に何度も外れながら、3年後にしてやっと当選を果たし、木造平屋建て、二軒棟続きの住宅へと越した。

六畳と四畳半の二間。

それに小さなお勝手だけという倹しさ。

だが六畳一間のアパートに比べれば、夢の別天地だった。

「♪ボーンボーンボーンと時計が三つ 坊やお八つを食べましょう♪」とは、昭和の時代に茶の間で親しまれた、ラジオのCMソング。

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我が家の柱に据え付けられた、デコラ張りの安物柱時計。

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ボーンボーンボーンと3回なってしばらくして、短針が3を過ぎ、長針が2の位置に来た頃、ラジオからこの曲が流れ出した。

母は鼻歌を奏でながら、内職の手を止めどっこらしょっと、水屋からお八つを取り出したものだ。

我が家の柱時計は、常に標準時刻より10分進められていた。

それは刻限に追われ、バタバタ焦らないように、何事も前もって準備を万端に整えよとの、母なりの教えがあって。

しかしぼくはと言えば「どうせ端っから、10分進めてあるんだし」ってなもんで、相変わらずのらりくらり。

堪り兼ねた母が、ついに暴挙に打って出た。

時計の針を、逆に10分遅らせるという。

しかも選りに選って、何より大切な遠足の日に。

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慌てて駆け出し弁当を忘れ、腹時計だけがググーッと空しく昼を告げる。

しかし指を咥えるしか成す術もない。

そんな姿を級友が見兼ね、お結びを一つ分けてくれた。

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以来、今も約束の刻限よりは必ず、10分早く出向く習慣が付いた。

母に頂戴した、体内時計を10分進めて。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫23話(2012.10.25新聞掲載)~「母に賜りし体内時計」」への8件のフィードバック

  1. 柱時計こんな感じでした。
    懐かしいです。
    さすがオカダしゃんのお母ちゃん
    これこそ 天晴れ!!ですね。

  2. 待ち合わせの時間!って守らない人は本当に!
    守れないよねぇ!
    バスツアーに参加すると必ず集合時間に遅れて来る人が居る。
    他の参加者に迷惑になるとは思わないんでしょうか?
    やはり10分、5分前、行動は大事にしたいもんです。
    そんな私は、せっかち君ですぅ!

    1. やっぱり待ち合わせ時間には、心に余裕を持ちたいですよねぇ。
      焦ったらそれだけで何だか引けを取っているようですもの。

  3. 母からの教えってこれと言って思い当たらないけれど、気付いて無いだけで今 自然にやっている事が親から教わった事なのかも(*^_^*)

    1. そうですとも!
      特にお味噌汁の味!
      これだけは体が、いや味覚が今でもしっかりと覚えていますもの。

  4. 体内時計と言えば…
    我が長男は 割と正確に体内時計が動いてるようで 10時は散歩 11時半はお腹が空いてきて不機嫌 15時おやつ 17時ifone見る 18時そろそろ夕食作ってくれよ〜etc と 時計を見ずとも訴えてきます。その都度時計を見ると 大体当たってる。でも そんなに上手くいかないわけで。折り合いをつけるのが大変(笑)。
    まぁ 人間らしいって言えば超人間らしいかぁ〜(大笑)

    1. そうですとも。
      時計のない時代の昔の人たちだって、お日様が昇れば朝ご飯で、日が暮れたら夕餉を囲んで床に就いたんですものねぇ。
      人間力に優れているんですよ!

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