連日更新される最高気温。
だが今年の夏は、何だか様子が異なる。
その正体は、天気予報ならぬ電力予想。
さすがに我慢も限界と、エアコンのスイッチを入れようとする度、妙な後ろめたさに苛まれる。
ぼくが育った昭和の半ば。
風神様もたじろぐような、神憑りなエアコンなどという神器は無い。
だからもっぱら昼寝に行水、軒の打ち水に破れ団扇で涼を求めた。




とっぷりと陽も落ち、父が帰宅するのを待って、やっと扇風機が唸り始める。

あまりの涼しさに、扇風機が首を振るたび追い掛け回し、結局また一汗かき、天花粉を叩かれたものだ。

夜も更ければ、吊り込まれた蚊帳へと潜り込む。

蚊遣り豚に燻る煙を見つめ、いつしかまどろんだ。

ポツリポツリと燈る、裸電球の街灯。

それ以外の灯かりと言えば、時折り過ぎる車のヘッドライトくらいのもの。
だからか?
今ほど寝苦しくも感じなかった。
それとも昔は、今より涼しかったのか?
気象庁が記録を取り出した、1961年から昨年までを比較してみた。
岐阜市内の7月28日、午後3時の最高気温である。
すると60年代の平均が32.36℃、70年代31.16℃、80年代29.84℃、90年代31.32℃、2000年代30.58℃とあり、60年代が最も暑かった勘定となる。
ちなみに過去半世紀の、岐阜市の今日の最高気温は、2004年の37.7℃だった。
何のことは無い。
暑さは今も昔も不変だ。
ならばいっそ、文明の利器頼りの現代人も、「ダッセー」と片付けず、一涼みの風情に知恵を巡らせた、昭和の粋人を見習ってみてはどうだ。
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昔は イヤ〜な暑さじゃなかった気がします。扇風機で充分だっだわけですから。夏休みは 小学校のプールに… 家では 水風呂に(笑)
ヤクルトを凍らせて スプーンでガリガリしながら食べてましたっけ。
今でも 家で一人の時は エアコンじゃなくて扇風機オンリー。な〜んか後ろめたい気になるんですよね。
子どもの頃って、家の前の道がアスファルトで塗り固められていなかったからか、砂利道に夕方お母ちゃんが打ち水をすると、誇りも収まっていっぺんに涼しくなったものでした。
今じゃそんな打ち水撒いたって、すぐに熱湯になっちゃいそうですものねぇ。
子供の頃は夜なんか、窓を開けて、扇風機で十分だった。
でも、子供ってよく蚊に刺されるよねぇ!
昔は、熱中症ってあったのか?
熱中症と言う呼び方はしていなかったかも?
歳取るとねぇ!気温の変化についていけない・・
本当にそう思う!我慢は禁物!
余談ですが
2回目のコロナワクチン接種を打っての副反応
やっぱり私の場合高齢者ですから、なんもなかった!
ただ、14時頃、37度2分くらいの熱が出たけど、
夕方には熱も下がったので安心!
もう昭和半ばの頃とは違いますから、我慢したりせずこれからはエアコンも上手に使って、熱中症には気を付けねば!
エアコンは、一瞬で部屋全体を冷やしてくれますが、やっぱり扇風機の風の方が好きですねぇ⤴️
扇風機を回しながら、扇風機の風を顔に直接受けながら、よく子どもの頃は童謡を歌ったものです。
扇風機の風で歌声が震えるので、それを面白がっていたものでした。
蚊帳懐かしい!中に入るのが楽しみでした。殺虫剤よりも趣があってGOOD!
蚊帳の中って超特別な空間でしたものねぇ。