「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ…」

特別養護老人ホームの談話室。
テレビの終戦記念特番で、玉音放送の件が流れ出した。
父はいきなり立ち上がり、直立不動のまま虚の三八式歩兵銃を両手に戴き、捧げ銃の構えのまま嗚咽を漏らす。

時ならぬ父の姿に、周りの老人があたふたと杖を頼りに立ち上がった。
忌まわしき戦争の記憶は、どれだけ心の奥底に封じ込めようと、馬鹿正直にも体は、己の意思と裏腹に反応するのか。
敗戦から半世紀以上を経た今となっても。
父は亡くなる数年前から認知症が進み、夢と現の狭間に生きていた。
ぼくは無礼にも、そんな父の一進一退を、よく天気になぞらえたものだ。
だから母の七回忌を終え、その足で父を訪ねた時は、手の施しようも無い「土砂降り」状態。
母の供物が詰め込まれた、お下がりのお重を開き、立ち尽くす父に差し出した。

「どこの親切なお方か知りませんが、ほなこのボタ餅頂戴します」。
父は胡乱な眼のまま、ボタ餅に舌鼓を打つ。
…今日は息子の顔すら思い出せんのか?…
「あのー、厚かましついでにこのボタ餅、もう二つ貰えませんか。今日は家内の七回忌でしてな。大好物やったでせめて供養にと」。
…あっ、土砂降りの中を彷徨いながらも、母の命日だけは忘れずにいてくれた…
赤紙一枚に命を弄ばれ、焼土に帰しどうにか手にした、母との倹しい暮らし。
吉凶相半ばの父の人生。
「勝ち負けより、お相子でええ」。
その時初めて、父の口癖だった言葉の、本当の意味を知った。
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子供の頃
TV見てた時に「赤紙」って?なんやろう?
と思ってました。
戦争へ行く為の召集令状だったのを聞いて
子供心「イヤだな~ぁ⤴」と思ったもんです。
今が平和で良かった!
令和の時代も平和でありますように!
その通りですよねぇ。
でも今は世界中がコロナの戦時下のようでもありますものねぇ。
何だかだなって感じがしちゃいます。
「 勝ち負けよりお相子でえぇ」
素敵な言葉ですね。
何かある度に ” お互い様なんだけどなぁ〜 ” って思う最近の私。
老い、認知症、介護…
心に少しだけ隙間を作らなければ。
ひと休み ひと休み( ◠‿◠ )
どんなに急いだって、どんなに苦しんだって、所詮はどうにもならない!
神のみぞ知ることなんでしょうねぇ。
「勝ち負けよりお相子でえぇ」と「なるようになっていく」力みがなくて良い言葉ですね。
勝者があるってことは、敗者があるものですものねぇ。
例えその場で勝ったとしても、負けたとしても、人は与えられた人生を粛々と生きなければなりませんからねぇ。