「天職一芸~あの日のPoem 405」

今日の「天職人」は、愛知県新城市の「ヴァイオリン職人」。(平成23年2月5日毎日新聞掲載)

放課後いつも回り道 白い屋敷の洋館へ             二階の窓辺揺れる影 名前も知らぬお嬢さん           長い黒髪揺れるたび ソナタ奏でるヴァイオリン         しばし佇む淡き恋 梅の蕾も春まだき

愛知県新城市、ヴァイオリン工房Sadaprimoの宇野定男さんを訪ねた。

「宇野!入ったぞ!」。

平成15(2003)年秋。

73歳のヴァイオリン職人が、ストラディバリウスを生んだイタリアのクレモナで、世界に認められた。

「趣味で初めてヴァイオリンを作り出し4半世紀。我流の作品が入選したんです」。

定男さんは昭和5(1930)年、名古屋で宮大工の父の元、9人兄弟の次男として誕生。

「父の鑿や鉋があったし、木いじりが好きだった」。

大学を出ると、叔父の営む店舗美装会社へ。

「CBCでドラマの美術や大道具手掛けたり、芝居の舞台美術を担当して」。

やがて新劇女優であった美智子さんとの間に、恋が芽生え昭和32年春に結ばれ二女を授かった。

「その2ヶ月後。CBCの美術デザイナーに勧められ、東海TVへ入社することになって。でもまだ開局前で、毎日東海TVからCBCへ通って仕事してました」。

開局後は美術のセットデザイナーとして勤務。

昭和53年、CMの制作で訪れた先で、ヴァイオリン職人と意気投合。

「すると、『試作してみないか?』と誘われ」。

半年後には試作が完成。

写真は参考

「父の道具もあったので。でも先方は、まさか本当に試作品を仕上げるとは思ってなかったよう。その後は小遣いを叩いて材料を買い、年2~3本のペースで製作。すると3年後、『売ってやるから持って来い』と。それからは、売れた金でまた材料仕入れて」。

昭和61年、ドラマ制作が東京へ移り、美術から番組制作へと異動。

「初めて番組の取材に来たのが、ここ作手村。途端にこの地が気に入って」。

第二の人生の拠点として、工房兼終の棲家と定めた。

平成3年、退職前に有給休暇の消化で、3ヶ月間ヴァイオリンメーカーの手伝いに。

そこで一生物の友と出逢った。

クレモナのマイスター、スイス人のアンドレア・ボジーニだ。

たちまち意気投合。

彼がSadaprimoと命名。

「平成14年のこと。彼が遊びに来ていて、『そろそろクレモナのコンクールに出品しろと』。自分で勝手に仕上がったばかりの作品を見て『これを出せ』って」。

翌年、見事に入選。

クレモナでの発表の場面が冒頭の(くだり)だ。

「ヴァイオリン作りは、まず道具作りから」。

確かに鑿や鉋の大半が全て手作りだ。

写真は参考

そして楓の裏板を、2枚合わせで桜の型で木取りして削り、横板を削ってブロック6ヶ所を膠止め。

底板の外面の周囲に溝を掘りパフリング(飾り兼割れ止め)を施す。

樅の表板もパフリングし、f孔を開け裏側の高音域に魂柱(こんちゅう)と、低音域にバスバー((ちから)())をはめ込みバランスを取る。

写真は参考

そして楓材でネックとヘッドを型取りし、ミシン糸鋸と彫刻等でスクロール(渦巻き)を彫り、指盤を膠で貼り付ける。

最後にアルコールニスを塗って磨き、それを30回繰り返し3ヶ月間陰干し。

写真は参考

武骨な指が生む繊細な名器。

寿命400年のヴァイオリンが、職人の魂を宿し、遥かな未来へと旅立ってゆく。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 405」」への6件のフィードバック

  1. 凄い! こういう方もみえるんですね。
    趣味から始まり世界で認められるなんて。
    バイオリンに限らず どの楽器も使う方に寄り添う形で 色合いや音色などが変化していくような気がします。
    楽器を造る方も演奏する方も尊敬しちゃいますよ!( ◠‿◠ )

    1. この方も、遠回りを繰り返しながら、やっとやっとホンモノノ天職と出逢えた、そんな方でした。

  2. 昭和時代の子供の頃
    バイオリン、ピアノって
    エエとこの「ボンボン」とか「おじょぉ~」
    そんなイメージです・・
    私も、エエとこのボンボンに生まれたかった。
    でも、エエとこのボンボンだと
    オカダさんとは知り合えていなかったかもねぇ?
    そんな私とは、どう見てもくされ縁
    オカダさん仕方ないから諦めて・・

    1. 落ち武者殿も、ぼくにしたって、お金の多寡で比べなきゃ、この世にたった一つの両親の元に生まれた、エエとこの「ボンボン」に違いないですって!

  3. バイオリンは、今までの人生で触ったことも無ければ、まじまじと見たことも無い楽器の一つ。なンかお金持ちのイメージ。無縁かぁ(°ー°〃)

    1. ぼくなんて、ギターでさえままならないのに、フレットレスの楽器は、もうとてもとても手に負えません。
      それに一番安いギターを買って貰うのもやっとこさでしたから、仮にクラッシックを志したとしても、とてもとてもヴァイオリンなんて、わが家じゃ手に負えない高根の花でしたねぇ。

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