今日の「天職人」は、愛知県新城市西新町の「大経師」。(平成22年3月17日毎日新聞掲載)
破れ障子のその訳は 姉弟喧嘩のなれの果て 悔し涙が穿つ穴 開いた分だけ泣いた数 障子貼替え大晦日 父は薬缶を口にした 霧吹くはずがボタボタと 口から零れ大騒動
愛知県新城市西新町の京極襖店。大経師の京極善市さんを訪ねた。

「家の先祖は400年以上前に、京の戦乱で『都におったら首斬られる』と、遠州へ落ち延びてやあ。その分家がこの地に根付いたらしいだあ。だって裏には、400年前の蔵が残っとったじゃんね」。善市さんは、店と棟続きの奥を指差した。
400年以上も前の京極姓と言えば、室町時代の四職衆か?
「それが遠州の過去帳を手繰って見ても、途中で消えてまっとるらあ。それでもここへ移り住んでから、京極姓は本家だけが名乗って、後はみんな改姓してったらしいわ。やっぱり首狙われたらかんでだらあ」。
善市さんは昭和25(1950)年、3人兄弟の長男として誕生。
「母の体が弱くて、小学校3年から高校出るまで、人形店を営む道楽もんの叔父の家に預けられただあ」。
高校出ると豊橋の親戚の表具屋へ。
4年間の修業に就いた。
「道楽もんの叔父の影響か、鮎釣りと狩猟がとにかく好きでやあ。まともな勤め人になったら、鮎釣りも狩猟も思う様に出来んらあ。そんだで職人の道が性分にあっとるだあ」。
そして昭和47年、わずか22歳にして晴れて一本立ち。
己が腕一本だけが頼りの、職人道を歩み始めたのだった。
襖の中でも茶室の躙り口に用いられる坊主襖は、越前や美濃の手漉き和紙で仕上げる、経師冥利に尽きる本物の和襖と言える。

「まあ今時、本物の和紙使う襖なんて、1000軒の内たった1~2軒らあ。みんな和紙に似せた洋紙ばっかだもんで」。
坊主襖は、襖障子の框と組子に正麩の糊を刷毛塗りし、手漉きの石州和紙を両面に下貼り。

次に格子の1箇所に、石州和紙を6~7枚貼り合わせ手掛け部分を作る。
これは格子の1桝だけ、襖を横から見た時に「Z」の文字になるように、格子の右上、つまり襖の裏から表側の左下へと、和紙を斜めに渡して貼り込む。
したがって襖の表面から見ると、手掛けの上部に手が入り、逆に裏面では手掛けの下部に手が入る状態となる。
次いで下張りした和紙の上から、4隅にだけ糊付し、薄い和紙を受け貼りする。
「下地の上に薄手の和紙を受け貼りすると、中に空気の層が出来るらあ。それが湿気を上手い事吸って、湿度と寒暖の差を調整してくれるだ」。
そして最後に美濃の手すき本鳥の子紙を本貼りすれば完成。
最後の仕上げに、薬缶から水を口に含んで、霧吹きでもするかと問うた。
「そんなことしたらかんて。ぼぼけて(弛んで)まうし、乾くと急激に縮んでまって、まあ湿気もすわんくなるだあ」。
経師の道具は「付回し」「糊刷毛」「水刷毛」「撫で刷毛」のたった4本。




刷毛使い一つに、経師は己が持つ技量の全てを注ぐ。
昭和50年、叔父の人形店で店員だった悦子さんと結ばれ、一男一女を授かった。
「まあこの道40年らあ。そこそこに仕事して、後は鮎と狩猟で愉しまんと」。
平成の大経師は猟犬を抱えた。
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道具は刷毛4本って、趣味の道具の方が多かったりして(笑)人生を愉しめる人って良いですねぇ。
男にも何種類かあるようですが、何かにつけて道具に拘り、道具を全て揃えてから、何かを始めるタイプの方もいらっしゃるようです。
まあズボラなぼくは、その真逆な質ですが!(自虐的爆笑)
私事ですが3月3日
義理の父親が「気胸」で急きょ「中村日赤」に入院
ご存知の方も見えると思いますが簡単に言うと
「肺」に穴が開き空気が漏れてしまう病気です。
先週、義父と会った時は元気だったんで安心してましたが、急に!
でホントビックリです!
オカダさんはただでさえ
「タバコ、飲酒」するから健康管理には気を付けて下さいねぇ!
いつまでもオカミノファミリーのリーダーで居て貰わないとねぇ!
今回もブログ記事と関係なくてすみません
そうでしたか!
ぼくの知り合いも、30代後半で気胸となり、しばらく入院していたもののすっかり良くなって、またしばらくするとヘビースモーカーになっていた方もおいでですよ。
どうかお大事に!
ぼくも自重したいと思います(汗)
以前 障子の張り替えをした事があるけど 難しかったですよ。ただ単に 不器用だったんでしょうけどね(笑)。
今では ちょっと破れただけなら 障子紙で作られた花型をペタンと貼るだけだから 私にも出来ます。
でも本当は 障子も襖も一枚張り替えると気持ちいいんですよね〜( ◠‿◠ )
昭和半ばの貧しい時代でしたが、年末の大掃除になると、穴ぼこだらけの障子をお父ちゃんが張り替えていたものです。
❖ 障子の張替 ❖
この刷毛を見て思い出しました
幼少の頃 障子の張替えは父親の役目!
障子紙専用のりがあったのかな〜??
袋に入ったのりを器に入れ 水で薄め 刷毛に取り 枠にまんべんなく塗り そっと障子紙を合わせていましたよ
\(๑╹◡╹๑)ノ♬
父親は とっても器用な人でした❣️
昭和半ばの父親は、どこのお家でも偉大な存在でした。
何でもかでも、ささっと見よう見真似で、器用にあれやこれやとやってくれたものでしたねぇ。
それに比べ不器用なぼくときたら・・・。