「天職一芸~あの日のPoem 362」

今日の「天職人」は、愛知県新城市西新町の「大経師(だいきょうじ)」。(平成22年3月17日毎日新聞掲載)

破れ障子のその訳は 姉弟喧嘩のなれの果て           悔し涙が穿つ穴 開いた分だけ泣いた数             障子貼替え大晦日 父は薬缶を口にした             霧吹くはずがボタボタと 口から零れ大騒動

愛知県新城市西新町の京極襖店。大経師の京極善市さんを訪ねた。

「家の先祖は400年以上前に、京の戦乱で『都におったら首斬られる』と、遠州へ落ち延びてやあ。その分家がこの地に根付いたらしいだあ。だって裏には、400年前の蔵が残っとったじゃんね」。善市さんは、店と棟続きの奥を指差した。

400年以上も前の京極姓と言えば、室町時代の()(しき)(しゅう)か?

「それが遠州の過去帳を手繰って見ても、途中で消えてまっとるらあ。それでもここへ移り住んでから、京極姓は本家だけが名乗って、後はみんな改姓してったらしいわ。やっぱり首狙われたらかんでだらあ」。

善市さんは昭和25(1950)年、3人兄弟の長男として誕生。

「母の体が弱くて、小学校3年から高校出るまで、人形店を営む道楽もんの叔父の家に預けられただあ」。

高校出ると豊橋の親戚の表具屋へ。

4年間の修業に就いた。

「道楽もんの叔父の影響か、鮎釣りと狩猟がとにかく好きでやあ。まともな勤め人になったら、鮎釣りも狩猟も思う様に出来んらあ。そんだで職人の道が性分にあっとるだあ」。

そして昭和47年、わずか22歳にして晴れて一本立ち。

己が腕一本だけが頼りの、職人道を歩み始めたのだった。

襖の中でも茶室の(にじ)り口に用いられる坊主襖は、越前や美濃の手漉き和紙で仕上げる、経師冥利に尽きる本物の和襖と言える。

写真は参考

「まあ今時、本物の和紙使う襖なんて、1000軒の内たった1~2軒らあ。みんな和紙に似せた洋紙ばっかだもんで」。

坊主襖は、襖障子の(かまち)と組子に正麩の糊を刷毛塗りし、手漉きの石州(せきしゅう)和紙を両面に下貼り。

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次に格子の1箇所に、石州和紙を6~7枚貼り合わせ手掛け部分を作る。

これは格子の1桝だけ、襖を横から見た時に「Z」の文字になるように、格子の右上、つまり襖の裏から表側の左下へと、和紙を斜めに渡して貼り込む。

したがって襖の表面から見ると、手掛けの上部に手が入り、逆に裏面では手掛けの下部に手が入る状態となる。

次いで下張りした和紙の上から、4隅にだけ糊付し、薄い和紙を受け貼りする。

「下地の上に薄手の和紙を受け貼りすると、中に空気の層が出来るらあ。それが湿気を上手い事吸って、湿度と寒暖の差を調整してくれるだ」。

そして最後に美濃の手すき本鳥の子紙を本貼りすれば完成。

最後の仕上げに、薬缶から水を口に含んで、霧吹きでもするかと問うた。

「そんなことしたらかんて。ぼぼけて(弛んで)まうし、乾くと急激に縮んでまって、まあ湿気もすわんくなるだあ」。

経師の道具は「付回(つけまわ)し」「糊刷毛」「水刷毛」「撫で刷毛」のたった4本。

写真は参考
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刷毛使い一つに、経師は己が持つ技量の全てを注ぐ。

昭和50年、叔父の人形店で店員だった悦子さんと結ばれ、一男一女を授かった。

「まあこの道40年らあ。そこそこに仕事して、後は鮎と狩猟で愉しまんと」。

平成の大経師は猟犬を抱えた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 362」」への8件のフィードバック

  1. 道具は刷毛4本って、趣味の道具の方が多かったりして(笑)人生を愉しめる人って良いですねぇ。

    1. 男にも何種類かあるようですが、何かにつけて道具に拘り、道具を全て揃えてから、何かを始めるタイプの方もいらっしゃるようです。
      まあズボラなぼくは、その真逆な質ですが!(自虐的爆笑)

  2. 私事ですが3月3日
    義理の父親が「気胸」で急きょ「中村日赤」に入院
    ご存知の方も見えると思いますが簡単に言うと
    「肺」に穴が開き空気が漏れてしまう病気です。
    先週、義父と会った時は元気だったんで安心してましたが、急に!
    でホントビックリです!
    オカダさんはただでさえ
    「タバコ、飲酒」するから健康管理には気を付けて下さいねぇ!
    いつまでもオカミノファミリーのリーダーで居て貰わないとねぇ!
    今回もブログ記事と関係なくてすみません

    1. そうでしたか!
      ぼくの知り合いも、30代後半で気胸となり、しばらく入院していたもののすっかり良くなって、またしばらくするとヘビースモーカーになっていた方もおいでですよ。
      どうかお大事に!
      ぼくも自重したいと思います(汗)

  3. 以前 障子の張り替えをした事があるけど 難しかったですよ。ただ単に 不器用だったんでしょうけどね(笑)。
    今では ちょっと破れただけなら 障子紙で作られた花型をペタンと貼るだけだから 私にも出来ます。
    でも本当は 障子も襖も一枚張り替えると気持ちいいんですよね〜( ◠‿◠ )

    1. 昭和半ばの貧しい時代でしたが、年末の大掃除になると、穴ぼこだらけの障子をお父ちゃんが張り替えていたものです。

  4.   ❖ 障子の張替 ❖
    この刷毛を見て思い出しました
    幼少の頃 障子の張替えは父親の役目! 

    障子紙専用のりがあったのかな〜?? 
    袋に入ったのりを器に入れ 水で薄め 刷毛に取り 枠にまんべんなく塗り そっと障子紙を合わせていましたよ 
     \(๑╹◡╹๑)ノ♬

    父親は とっても器用な人でした❣️

    1. 昭和半ばの父親は、どこのお家でも偉大な存在でした。
      何でもかでも、ささっと見よう見真似で、器用にあれやこれやとやってくれたものでしたねぇ。
      それに比べ不器用なぼくときたら・・・。

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