今日の「天職人」は、三重県鳥羽市の「サザエ壷焼屋女主」。(平成22年1月27日毎日新聞掲載)
磯の香りと焦げ醤油 サザエと牡蛎に大アサリ 出船の時が気になれど ちょいと一杯コップ酒 旨い肴と美酒に酔い 隣りの客と意気投合 差しつ差されつ気が付けば 鳥羽の港の灯も落ちる
三重県鳥羽市の駅前。戦後間も無いころに創業された水沼さざえ店、三代目女将の中村鈴子さんを訪ねた。

鳥羽駅の西口へ降り立った。
海風に煽られ、鼻先を焦げた醤油の香ばしさがくすぐる。
どうやら線路沿いの、こじんまりした商店街から漂って来るようだ。

どこの店先にも水槽が並び、サザエや牡蛎、それに大アサリが汐を噴き上げ、コンロの網の上では直火の熱さに観念した貝が口を開く。
注ぎ込まれた醤油が吹き零れ、美味そうな匂いを撒き散らす。

思わず口中に沸き出でる生唾を飲み込み、してやられた思いで暖簾を潜った。
「今日入ったサザエは、内海のやで活きが違うよ。まあ焼けるまで貝の佃煮でも摘んで一杯やっとって」。鈴子さんが愛想のいい笑顔を振り撒いた。

鈴子さんは昭和28(1953)年、鈴鹿市の古市家に誕生。
中学を出ると名古屋の親類が営む鉄工所で事務職に就いた。
「算盤できるか?ハイッて」。
そこに将来苦楽を共にする、従兄弟との運命的な出逢が待ち構えていた。
鳥羽市の離島、菅島出身の先輩社員、小寺良之さんだ。
昭和46年、鈴子さんは18歳の幼な妻として嫁ぎ、二男を授かった。
「ちょうど子育て真っ盛りの頃、浦村で牡蛎の養殖をしてた親類から、『跡継いでくれんか』って。それで養子に入ったんやさ」。
昭和52年、一家は浦村に移住し中村姓へ。
「牡蛎の表裏さえ知らんし、島の方言はきっついし。『の、空にある竹籠下ろして、オジベに渡しといな』とかって。『の』は『あんた』って意味で、『空』が『上』、『オジベ』は『弟』ってこと。それに翌年義父が亡くなり、主人は大変やったんさ。でも島の人らは田舎の人やで、みんな優しいて。それだけが救いやわ」。
やがて子育ても一段落。
昭和62年から、牡蛎養殖の暇になる春から夏の間を利用し、得意先の一つであった水沼さざえ店でアルバイトを始めた。

「元々接客が好きやって、いつかは自分の店が持ちたくて」。
働き者の鈴子さんは、まるで水沼家の嫁のように、店主や客に可愛がられた。
しかし平成16年、義父母から受け継いだ牡蛎養殖を廃業。
「水沼さざえ店の二代目が、病気で引退することになって。そんなら私に継がせてと。ちょうど牡蛎養殖も下火になって来とったもんやで。もう辞めよかゆうて」。
翌年の正月、ついに51歳の新米三代目女将が誕生した。
新米と言えども、浦村仕込みの鈴子さんの目利きは天下一品。
今も直接、漁師や海女の伝手を頼りに仕入れる。

「伊勢海老やイジカ(ムール貝)は漁師さんから。サザエは85歳になる、浦村の海女さん。とにかく鮮度が命やで」。
活きのいい貝を網で焼き、醤油に酒と隠し味の砂糖で味を調えれば、磯の香り高きサザエの壷焼が出来上がる。

「51歳で好きな商売が出来たんやで、幸せもんやさ」。
女将曰ク「吾、五十ニシテ天職ヲ知ル」ト。
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まるで導かれたかのような仕事 場所ですよね。
そうですよねぇ。
昭和レトロな駅前海鮮街って感じですものねぇ。
コロナが落ち着いたら漁港を訪れて寂れたお店で一杯やりたくなりました。
大都会のこじゃれたお店はなんとも落ち着きませんが、やっぱり昭和人にとっちゃあ、こんな鄙びた感って、何よりのご馳走な気分にさせてくれますものね。
磯の香りと焦げ醤油 堪りませんね〜。
サザエや鮑や大あさり…大好きなものばかり( ◠‿◠ )
どうしてあんなに美味しいんでしょうね⁈
なんだか旅したくなりました。
ここ最近のブログには 美味しそうなものばかり載ってるから 毎回ニヤニヤしながら見ています(笑)
磯の香りが旅心をくすぐっちゃいましたかぁ!
確かにわかりますとも!
わ 〰 たまりませんね〜
そろそろ 新鮮な魚介類 お刺身が恋しくなってきていますからね 〰
昨日も むしょうに お寿司が食べたくなりテイクアウトしてきたところです!
もちろん お酒を ちび ちび ❣
私も ブログにつられ ついつい
•́ ‿ ,•̀
体重 体脂肪が
三重って お魚もお肉も美味しく新鮮な魅力的な所ですね (◍•ᴗ•◍)❤
なんせ伊勢は、神々が住まう「御食国(みけつくに)」ですからねぇ。
木曽、長良、揖斐の三川が、山々から大自然が育んだ豊富な養分を運んでくれていますから、魚や貝類も豊かな海の恩恵を受けて、美味しく美味しくなってくれている気がします。