今日の「天職人」は、岐阜市神田町の「駅前飯店」。(平成20年8月5日毎日新聞掲載)
月の最後の日曜日 「何処で食べるか?」父は問う 駅前ビルの階段を 昇った後で振り返り 母は小さく吹き出した 「どうせ決めてるくせして」と 駅前飯店指定席 酢豚に餃子ニラ卵
岐阜市神田町、中華料理「駅前飯店」。主の田中豊さんを訪ねた。

「よっこらしょっと」。
少し腰の曲がった老婆が、テーブル席に腰を下ろした。
椅子の脇には、はち切れんばかりに膨れ上がったレジ袋。
中には数種類の薬袋(やくたい)がぎっしり。
「ようやっとたどり着けたわ」「お久しぶりやねぇ。どうですか、お身体の具合は?」「ええも悪いも、こんなもんやて。月に一回、医者の帰りに寄らせてまうのが、もう唯一の楽しみなんやで。今日は酢豚にしてまおか」。
ここは名鉄岐阜駅の道路を挟んだ向かい側。
パン屋の横の階段を二階へと昇れば、昭和の面影が顔を覗かせる。
「もう開店から36年やで、お客さんもおんなじように年食われてまっとるでねぇ」。豊さんは、少し前屈みで優しく微笑んだ。

豊さんは昭和22(1947)年、靴職人の長男として誕生。
中学を出ると名古屋の中華料理店に住み込みの修業に。
東京五輪を翌年に控えた年だった。
「最初は店の裏で、お婆ちゃんと一緒に目ショボショボさせながら、明けても暮れても玉ネギの皮むきばっかり」。
ひた向きで真面目な性格ゆえ、日々の修業で見る見る腕を上げ、先輩料理人と肩を並べ中華鍋を揮った。
「料理人が多かった店やで、ガスコンロ毎に料理人も決まっとったんやて」。
昭和44(1969)年、名古屋の職場を辞し、現在地の華陽ホテル中華部に入社。
翌年、慰安旅行で大阪万博へ。
「そん時のバスガイドが私。集合時間よりもえらい早く戻って来る人がいて、後で分かったんですがそれが主人やったんです」。妻博子さんは、冷たいお茶を差し出しながら笑った。
「最初のデートはこの店。主人が酢豚を作ってくれて」。

昭和47(1972)年2月に結ばれ、一男一女を授かった。
それから5ヶ月後、ホテルから店の権利を買い取り、「駅前飯店」は独立。
夫婦とも弱冠24歳のおおいなる船出だった。
「その頃は店の前を路面電車が走って、繊維街も柳ヶ瀬も全盛期。全国からようけ行商さんが仕入れに来られて」。
サラリーマンや事務員、家族連れから出張族と多くの客で賑わった。
駅前飯店の中華は、どれも昔ながらの定番の味が最大の魅力。
「私はこれしか作れませんし、この仕事しかないでね。家のラーメンはシンプルそのもの。細麺に鶏がらと煮干のスープで、薄切りチャーシューとメンマに葱だけ。具を沢山入れればいいってもんでもないし」。豊さんは謙虚につぶやいた。

盛り付けの派手さや、具の多さに頼らぬ正統派。
ゆえに30年以上も、客は懐かしさを求め足繁く通う。
「10年ほど前に、食い逃げされたんやて。店の一番奥に堂々と座って、ビール飲みながら料理も4~5品取って。店の外にあるトイレ行ったまま帰って来んわね。汚れたジャンパーだけ置き去りにして」。
夫婦はあっけらかんと、懐かしそうに笑い合った。
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おはようございます。
駅前飯店のお話ですね。
盛り付け等に頼らずに、正統派で、行くのは良いですね。
・写真の料理(炒飯,中華麺,酢豚)美味しそうですね。
・私は、写真の駅前飯店に行った事が、有りません。
餃子にビールをこよなく愛するわたし。それでも、体調が良くないと欲しない⤵️だから、餃子にビールは、私の健康のバロメーター(笑)
オカダさんは、そう言う時は無いかぁ、どう?(只今、どう?どう?シリーズ継続中)
あっ、「めんどくさ!!」って言ったでしょ(^o^;)
また悩ましい新企画の登場ですか?
ぼくもその日のビールの美味しさの度合いで、体調を推し量ったりしていますよ。
「天職一芸〜あの日のPoem」
「駅前飯店」
ラーメン・チャーハン・酢豚も美味しそっ!わたし 他の事しながらで ついつい玉ねぎに火を通し過ぎてしまいます。
2021年はおせちもめいめいの盛り付けと「柿いり黒酢豚」と「カラフル!3種の海老しゅうまい」とあと一品 あと一品と思っていたところ オカダシェフの「焼きそば春巻き」が好評でしたので即決となりました。
ありがとうございます。
焼きそば春巻きがそんなにお気に召していただけたとは、なんともありがたい限りです!
シンプルis BEST!
最近 写真のようなシンプルなラーメンが無性に食べたくて 何処かに美味しいお店がないかなぁ〜とキョロキョロしてる私です( ◠‿◠ )
チャーハンや酢豚も美味しそうだなぁ〜。ビールがすすむなぁ〜。
でも 酢豚にパイナップルはご勘弁ですけどね(笑)
うそうそ、若者向けのコッテリ系よりも、高山ラーメンのようなお醤油味のシンプルラーメンが、ぼくも大好きです!
そう言えば、会津の喜多方ラーメンなんて最高でしたもの!
町の中華屋さん、大衆食堂も減ってまったように思います。ファストフードが流行り、マイカーを個人が持つようになり結果的にシャッター街が増え、斯様な食堂は廃れたのかなと想像します。もはやノスタルジーの世界に埋没してまったのでしょうか。
町場の中華屋さんって、ぼくも好きですねぇーっ。
東京の蒲田で独り暮らしの頃は、風呂や帰りにブラリと立ち寄って、ビールをプッハァ~と煽りながら、中華飯に舌鼓を打ったものです。