今日の「天職人」は、三重県桑名市の「御太鼓師」。(平成20年6月24日毎日新聞掲載)
宮の境内笛太鼓 浴衣で君が駆け回る 囃子に合わせ下駄鳴らし 無邪気に跳ねる石畳 午前零時を待ち侘びて 桑名の町が騒ぎ出す 石取祭叩き出し 割れんばかりの鐘太鼓
三重県桑名市で創業宝暦3(1753)年の丸屋甚兵衛、八代目御太鼓師の阿部甚兵衛(本名・衛)さんを訪ねた。

「桑名生まれの者にとって石取は、年に一度のハレの日やで、祭が近付くともうじっとしとれやんのさ」。衛さんは、整然と並べられた太鼓の胴の傍らで笑った。

衛さんは昭和42(1967)年、長男として誕生。
学業の傍ら家業を手伝った。
「どこの家でもそうやと思うんですが、おいそれと遊びにも行けやんし、『ほんなら暇やで鋲でも抜いたろか』ってな調子ですわ」。
高校を出ると父を師に家業へ従事。
「『一旦家業に入ってまうと外の友達も出来やんで、今のうちにしっかり遊んどけ』って父からよう言われましたわ。それで調子に乗って名古屋のディスコで遊んで朝帰りやわ。そのまんま寝惚け眼で仕事場入ってボーッとしとろうもんなら、父が木槌でゴツンですわ。もっとも父が若い頃は、祖父からビンロージで叩かれたって言いますで、それに比べたらまだましやけど」。
親子と言えど、一歩職場に入ればただの師弟。
跡継ぎゆえに厳しさも一入(ひとしお)だ。
桑名の奇祭「石取祭」の太鼓は、二尺四寸から三尺二寸の長胴太鼓。
「太鼓を打った時に余韻が残ると、次が直ぐに打ち出せやんで、皮をとにかくパンパンに張り詰めるんやさ」。
喧嘩祭りの異名を持つだけに、悠長な撥捌きなど以ての外。
鐘と太鼓が打ち出しを競い合い、ゴンチキチンとけたたましい音色を一晩中轟かせる。
それが喧嘩祭りたるゆえんでもある。

長胴太鼓は、樹齢350~400年程の欅(けやき)の木取りに始まる。
まず一番大きな直径の胴を木取りし、次に刳り抜かれた材から三寸程小さな直径の胴を木取りし、最終的にはお座敷太鼓へ。
「欅は硬(かと)て粘り気があって、木目の美しさはこの上ないですやろ」。
木取りされた荒胴は倉庫の中で10年の眠りに就いて自然乾燥へ。
「冬場は湿気が溜まるで、天地を引っ繰り返してやらんと」。
2~3年は急激に乾燥し、その後7~8年は緩やかな乾燥状態が続く。
10年の眠りから覚めた荒胴は、鉋・鑿・チョンノで本仕上げされ塗りへ。
そして仔を産んでいない雌牛の皮を裁断し素掛けして天日干し。
「雌牛の方が雄よりも皮の目が細かいですやん」。
仕上げに金具を取り付け、皮を鋲で打ち付ける本張りへ。
「皮が弛むと戸板叩くみたいに、締まりの無い音がするんさ」。
1月半から2月の歳月が惜しみなく注ぎ込まれる。

平成7(1995)年、ディスコで知り合った岐阜県高山市出身の和恵さんと結ばれ、二男をもうけた。
衛さんは先達七代の御太鼓師に劣らぬよう、いまだ日々修練を積み重ねる。

「八代甚兵衛と、胴の内側に銘を刻めば、末代まで誰の作か責任が付き纏うんやで。ええ加減な仕事は出来やんって」。
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「ドン!ドン!ドン!」太鼓の音を聞くと心が高鳴るのは私だけかしら⤴️背筋が伸びます•̀.̫•́✧
太鼓にも、色んな音色があり、鼓動が高鳴りますものね。
今晩は。
御太鼓師のお話ですね。 太鼓は、色々な大きさが有るのですね。
御太鼓は、職人さんの手作りなのですね。
お祭りに太鼓が出ますね。飛騨古川 お越し太鼓が有りますね。
私は、実際にお越し太鼓を、見た事有りません。TVで見た事は、有ります。
末代まで誰の作か責任が付き纏う… …か。
太鼓を叩いた人間 その音を聞いた人間にまで 誰の作かがわかってしまう世界なのかも知れませんね。
大袈裟だけど。
以前 長男と一緒に和太鼓を習う機会があり 半年程通った事が…。
身体全体を使うので いつもラジオ体操から始まっていました(笑)
楽しいんだけど いつも筋肉痛に。
叩きこなせたらカッコいいんですよね〜。
そうそう!
撥の当たる場所一つで、音色も違いが出るから、難しいことこの上ありませんよねぇ。