「天職一芸~あの日のPoem 180」

今日の「天職人」は、三重県津市の「牧場主」。(平成十八年三月七日毎日新聞掲載)

子牛たわむる牧場(まきば)には 春を彩る淡き花     そよ吹く風に身を委ね 可憐な仕草舞い踊る        子牛を追って牧童(ぼくどう)は 煙たなびく牛舎へと   夕餉(ゆうげ)の馳走に想い馳せ お腹がグウで牛はモウ

三重県津市の中村牧場、二代目牧場主の中村孝さんを訪ねた。

「牛は自分の骨身削って、人間さんが欲しいだけ乳を出しますやろ」。 孝さんは、真っ黒に潤んだ瞳で見つめる、子牛の頭をそっと撫で付けた。

孝さんは昭和十一(1936)年、四反(約四十㌃)の田畑を持つ農家に、男五人兄弟の長男として誕生。

「それがさ、食い盛りの男ばっかりやったもんやで、牛乳買(こ)うてもあっと言う間にあらしませんのさ。『これではもたん』と、親父が近所の人から山羊を一頭譲ってもうて」。 大きく張った山羊の乳房からは、一日に五合の乳が搾り取れ、育ち盛りの兄弟の胃袋へと消えた。

「それでも足らんもんやで、今度は隣の部落から乳牛を四~五頭分けてもうて」。

昭和二十七(1952)年、それがそのまま牧場の創業となった。

「いかに男五人兄弟とゆえども、牛五頭分の乳はそりゃあ飲めやんで。せやで今度は乳が余って来ますやんか。それからやさ、牛乳売るようになったんわ」。

中学卒業と同時に、父と共に農作業と牧場経営に携わった。

満タンにした乳缶を自転車に積んで、来る日も来る日も製乳会社への道程を走り続けた。

当時は一頭の牛で、一日に十八㍑。朝夕五升(約九㍑)ずつが、大きなホルスタインの乳房から搾り出された。

「畦草や藁に、トウモロコシの茎と葉に実も全部。この栄養分の高い餌をやると、乳房の張りが違いますやん」。二束の藁約四十㌕と、麦やトウモロコシの実に麩(ふすま)や大豆滓(かす)等の濃厚飼料約四㌕が、一頭約一㌧の体重を維持する一日の餌。

まだそれに夏は、ドラム缶半分の水も飲む。

「安濃川の水が、良い藁を育て、やがてそれが美味しい牛乳に生れ変わるんやさ」。

昭和三十六(1961)年、隣村からユキ子さんが嫁ぎ、二男を授かった。

「牛は種が付かんとお終いや」。

生後十三~四ヶ月の育成牛に、人工授精で種付けが行われ、約十ヶ月で出産を迎える。

「初産が難儀なんさ。お腹ん中へ手突っ込んで、子牛の姿勢を確認すんやさ」。

破水と共に前足・頭・胴・後足の順に、この世に生を受ける。

「五分ほどもしたら、直ぐに自分で立ち上がりますに」。

生後と言えども、四十~四十五㌕の身体を四本の足で踏ん張って立ち上がる。孝さんはこれまでに、千頭を越える子牛を取り上げた。

「昔は十五年程の寿命で、十二~三産。今は昔の三倍乳が出る品種に改良されてもうて。そのかわり四~五産したら七~八年の命も終いやさ」。

孝さんが儚げにつぶやいた。

現在牧場には、搾乳牛が四十一頭。大きな身体を横たえ、真っ黒な眼(まなこ)を見開き口を絶えず動かす牛たち。

「食っちゃ寝、食っちゃ寝しとると牛になるぞってようゆわれたもんや。牛の腹ん中には、食べた餌を発酵させる虫がおって、練りを返しとるうち栄養になってさ。血液が白うなって乳房へ行く。これはわしがそう思とるだけで、学術的な裏なんてあらせんけどな」。

牛は田畑の産物を体内に取り込み、日長一日かけて反芻(はんすう)を繰り返しては、穢れを知らぬ純白の乳を産み出し続ける。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 180」」への10件のフィードバック

  1. 牛乳、大好き(ʘᴗʘ✿)(人 •͈ᴗ•͈)今は1週間に3パックぐらい飲んでるかな。
    飲みすぎるとお腹がゆるくなるのでこれくらいがベストかな。
    熱中症予防にコップ一杯に塩一つまみ入れて飲んでた時期があったな〜何も根拠はありませんがね。

    1. ぼくも牛乳は、一気に1ℓそのまま牛乳パックから、平気で若い頃は飲んだものでした。

  2. こんにちは。
    牧場主のお話ですね。
    写真の牛さん可愛いですね。
    牛は、種を、付かないと終わりなのですね。
    牛さんは、乳牛も有りますね。

  3. こんにちは。牛乳,ヨーグルト,好きです。(低脂肪牛と普通の牛乳両方好きです。)

  4. 乳酸品は大好き⤴
    でも、小学生の時、飲んだ「脱脂粉乳」マズイ~ィ!
    いただけなかったなぁ~!
    アルミのお椀に、注がれて
    思い出しただけでも「おぇっ⤵」
    途中から瓶牛乳に変わったけど、これも美味い!とは言えない!
    たまに出る「コーヒー味のミルメーク」
    うまい~~ぃ⤴
    待ち遠しかったなぁ~⤴

    1. そう?
      ぼくは落ち武者ほど味覚が足りないのか、脱脂粉乳も飲めないって泣いてる女の子の分も、平気で飲んでましたぁ!
      貧しさに慣れてたのかなぁ?

  5. 牛乳 って 子供の頃は 美味しい、って感じた事はなく 給食に出るから仕方なく飲まされてる❗って感じで 好きではなかったですが 最近は 骨粗鬆症予防に 毎朝 コップ一杯飲むようにしています
    (#^.^#)
    先日 お気に入りパン屋さんで初めて手にした「 関牛乳 」あまりにも美味しくて美味しくて、何回も足を運んでいます
    (^-^ゞ
    愛情込めて育ててみえるんでしょうね!

    先日 高山でも見かけ びっくり (^_^)v

  6. コップ一杯以上飲むとお腹が…
    ちょっぴり弱い私です。
    小学校の前半は まだ瓶に入った牛乳でした。飲み終えたあと 瓶の蓋をきれいに洗って集め メンコのようにして遊ぶのが流行ってました( ◠‿◠ )
    蓋の表側に指爪側を当て手前に引くと 蓋がひっくり返って裏側になる。そして自分の物に。指3本を使って蓋3枚同時にひっくり返すと喝采が(笑)
    笑えるぐらい懐かしい放課時間の遊びです( ◠‿◠ )

    1. へぇー!
      ぼくらは牛乳の紙の蓋を机の上に散らばらせ、口に息をためてパッと息を吐きだし、息を吹きかけた蓋が裏返り、別の表を向いた蓋の上に半分乗っかれば、それを自分が手にできるって遊びでした。
      ぼくらは「モンサ」って呼んでましたが・・・。
      でも机の上は唾だらけでしたねぇ。

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