「天職一芸~あの日のPoem 175」

今日の「天職人」は、愛知県岡崎市の「弾き語り小屋主」。(平成十八年一月三十一日毎日新聞掲載)

小さな椅子に腰掛けて ギター爪弾(つまび)き物語る   憂いを秘めた歌声に グラスの氷溶け出した        君と初めて聴いたのも 甘い囁(ささや)きラブソング   何故こんなにも切ないの 隣に君がいないから

愛知県岡崎市のライブハウス八曜舎(はちようしゃ)、小屋主の天野正人さんを訪ねた。

ガタンゴトーン ガタンゴトーン。

名鉄東岡崎駅にほど近いガード沿い。赤いペンキも剥がれかけた、木製のドアを開ける。薄暗い店内の照明。徐々に目が馴染むにつれ、心は時代をさかのぼる。

「日本のフォークやブルースのシンガーは、ほとんどここで唄ってっとるでね。友部正人とか高田渡とか、中川イサトに斎藤哲男。あんたら、知っとる?じゃあ、歌謡曲フォークってわかる?ああいう、ベストテンとかのテレビに出るような『売れセン』とは違うよ。ここで弾き語る連中は、誰~れも売れとれせん。皆自分の生き方そのものを、自分の言葉で、ず~っと唄い続けとるだけだもん。だから凄いんだて」。正人さんは、黄ばんだLP版のレコードに手を伸ばした。

正人さんは昭和二十八(1953)年、市内で不動産業を営む家の長男として誕生。

高校を上がると、喫茶学校へ通いながら開業を夢見た。

「学生の頃はGS(グループサウンズ)のバンドやっとった。でもラジオの深夜放送から、アメリカのフォークソングが流れてきて。ボブディランとかジョーンバエズ。いっぺんに虜になっちゃった」。

二十二歳になった昭和五十(1975)年、小さな八曜舎を開店。

「父に『家賃が安くて、一人で切り盛りできる店がいい』って言われて。従業員使っとっては、やってけんで」。開店当時を知るであろう、指で回すダイヤル式のピンクの公衆電話は、いつしか煙草の脂(やに)に染まった。

「まだあの頃は、ライブハウスも少なかったでねぇ」。

八曜舎最初のライブは、いとうたかお。

「最初は知り合いなんて、何処にもおれせんもん。直接事務所に電話して呼んだわさ」。

以来三十年、毎週土・日の週末には、西洋の吟遊詩人のように全国各地を唄い歩くフォークシンガーが、東海道を上り下る途中で立ち寄った。

言の葉を紡ぎ合わせ、己(おの)が節回しに乗せ、人生の喜怒哀楽を謳(うた)い上げる。

店内の壁一面には、夥(おびただ)しい数のサイン色紙。ここを訪れた現代の吟遊詩人たちの足跡だ。

「皆、伝説の八曜舎で唄ったことを、誇りにしてくれとるんだわ」。

開店から十年の歳月が流れた。

天野さんは、音楽仲間の一人と恋におちた。「音楽の話だけ無責任にしとるならいいだけど、一緒に暮らすとねぇ。四年で離婚したんだ」。

フォークに夢中な万年青年の顔が、心なしか歪んだ。

急な階段を二階へと上がる。壁をぶち抜いただけの、十二畳ほどの部屋。まるで三十年前の、学生アパートの一室よう。

突き当たりの窓を背に、物悲しげなマイクスタンドが、週末を心待ちにする。

それでも最高六十人を、一度に収容したとか。

「売れないから三十年経った今でも、彼らは現役のまんまで唄ってられるんだって。だからぼくだって、死ぬまで続けなきゃ」。

一週間が七日ではなくもう一日あったら。

果たしてぼくは、何をして過ごすのだろうか。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 175」」への9件のフィードバック

  1. おはようございます。
    弾き語り小屋主のお花ですね。
    ・今でいうライブハウスですね。 ライブハウス八曜日舎に、行って見たいですね。
    ・高田渡さんも歌っているなんてすごいですね。
    ・今は、ライブハウスの経営厳しいでしょうね。

  2. おお〜っ、なんて素敵な場所なんでしょう。私も14歳の頃、土曜日の午前授業が終わると、フォークやブルース好きの友達と一緒に名鉄岐阜駅付近の喫茶店の2階へ上がり、夕方まで過ごしていました。お金が無くて飲み物も頼めない私達に優しく接して下さった、お店の方の優しさは忘れられません。

    八曜舎とは、なんとも粋な屋号ですね。

  3. 昔懐かしい… ではなく 今も当時と何ひとつ変わらない時が流れてるみたいですね。
    こういう大切な秘密基地的な場所があったら 毎週末通っちゃうなぁ( ◠‿◠ )
    さて 一週間にもう一日あったなら…
    もちろん 朝から夜中まで私ひとりだけの時間にします。
    何しようかな〜? 何考えようかな〜?
    何処に行こうかな〜?
    ちょっぴりニヤニヤワクワクしちゃいますね(笑)

  4. 一日も早く、オカダさんがライブを行なわれて、また皆さんの笑顔が戻って来ますようにと、願っています。

    1. ありがとうございます。
      ぼくもその日が来るまでコロナに負けぬよう頑張ります。
      どうかどうか皆々様にも、コロナに負けぬようご加護がありますように!

  5. あたしに、財力があれば⤴
    小さくて良いので、皆さん気軽に来られて
    へたっぴぃ~なギター弾き語って
    そんな昭和レトロなライブハウスを・・作りたい!
    夢やなぁ~⤴
    えっ?
    腹黒い金ならタンマリありまっせぇ!
    でも、使うと足が付く!!
    やばいよぉ~⤴

    1. なぁ~んだ!
      腹黒Live House作ってくれるんじゃないのかぁぁぁぁぁ!
      畜生!!!

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