今日の「天職人」は、岐阜県北方町の「茗荷(みょうが)ぼち職人」。(平成十七年十一月八日毎日新聞掲載)
シュワシュワシュワと湯気上り 蒸し器の蓋もガタゴトと 待ち遠しくて童らも 茗荷葉(みょうがば)広げお手伝い 初夏の我が家の名物は 盥(たらい)に浸けた麦の茶と 深い緑にくるまれた 仄かな薫り茗荷ぼち
岐阜県北方町で「みょうがぼち」を作り続ける恵比須屋。三代目の生菓子職人、河村正彦さんを訪ねた。

「『お前とこには、売るほどあるやろが』って、夏の初めになると大婆さんの家から、みょうがぼち持って来てくれるんやて」。正彦さんが、大きく笑った。
「昔は田植えも終わり野休みになると、空豆の餡を包み茗荷葉で巻いて、各々の家々でよう作ったもんやて」。
正彦さんは真正町の農家で、昭和十(1935)年に林家の二男として誕生。中学を出ると、岐阜市の生菓子屋で、七年半の修業を積んだ。
「在所の父が、ここへようお菓子を買いに来とったんやて」。そんな縁から、跡取り娘との縁組へ。
昭和三十四(1959)年、河村家へ婿入りし恵美子さんと結ばれ、三人の子どもを授かった。
「昔の菓子屋は、夏場が暇で暇で、さっぱり売れんのやて。義父は『夏はゆっくり休めばいい』って言うもんの、遊んどってええんやろかと。何かせんとと思っとったんやて」。
時代は高度成長期へと。減反政策で専業農家が減少し、若者は職を求め大都会を目指した。兼業農家が増加し、農閑期を過す郷土の風習もいつしか廃(すた)れ往く。
「最初は『みょうがぼち』なんてありきたりの菓子が、売れるんやろかと半信半疑だったんやて。ところが店に並べて見たら、飛ぶ様な売り行きで。もう農家でも作らんようになってしまっとったんやて」。
最盛期には、一日二千個が売れた。毎年茗荷の葉が出る、五月の二十日頃になると、垂井町や大垣市、果ては東北からも注文の電話が鳴り止まぬ。
「みょうがぼち」の「ぼち」とは、餅ではなく小麦粉を使った蒸し菓子を指し、「餅」とは呼べず「ぼち」と呼んだ方言とか。
作り方は、小麦粉と米粉に砂糖を練り合わせ、空豆の餡を詰め込み蒸し上げる。別に二分ほどサッと蒸した茗荷の葉に包めば出来上がり。
「毎年四人がかりで、空豆の皮をむかんならんで大変やて。でも手間隙惜しんだらかん。中には機械で空豆の皮を削ったのもあるけど、やっぱり味が違うんやて。手塩にかけた餡の美味さは」。

冷蔵庫で冷やしても、餅と違って硬くはならない。
茹だるような夏の昼下がり。団扇片手にみょうがぼちを頬張る。汗をかいたコップの麦茶を一息に飲み干せば、透き通るような茗荷葉の香りが、仄かに涼を呼び来たる。
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おはようございます。
・茗荷(みょうが)ほち職人のお話ですね。
・私は、茗荷ほちは、岐阜に行った時スーパーで、見た事有ります。
・写真の茗荷ぼち美味しそうですね。
・材料は、米粉,空豆の餡,小麦粉,砂糖,茗荷の葉シンプルですね。お餅が固くならないのも良いですね。
みょうがぼちに出会ったのは、今から10年くらい前、川島ハイウエイオアシスのお土産物屋さん。『餅』とは呼べず『ぼち』とは⤴️なんとユニークなネーミングʕ•̀ω•́ʔ✧
そうそう!
餅じゃないから、ボチだなんて、なんて謙虚なことでしょう!
みょうがぼち 郷土の生菓子?
歯触りも中の餡もさっぱりした印象を受けました。
惹かれますね〜( ◠‿◠ )
きっと昔から各家庭で作られてるんでしょうね。
機械でなく手作業で手間暇掛けて…
ほっこりしたいわ〜
あっそうかぁ!
三河の夢ちゃんには、茗荷ぼちをご存じないですものねぇ!
正に岐阜の郷土の味ですよお!
懐かし~いみょうがぼち。
田植が終わり野休みになると各家で みょうがぼちを作って食べていましたね。
そら豆のあんこが美味しいんです。
母は生地で餡を包み、みようがの葉でくるみ蒸器で蒸していました。蒸してるときの匂いは今でも覚えています。
昔のみょうがぼちは、大きくて葉っぱ一枚で包んでありましたが、今は小さくて葉っぱも3センチ位のがまいてあります。でも懐かしいので買って食べています。
わかりますねぇ!
それぞ正に母の味そのものですものねぇ。
☆みょうがぼち☆
店先に並ぶと 「夏」って感じがします (●^o^●)
お店によって 甘さや皮の質感 大きさが違うので 楽しみです
今年は 今日で3回目 (#^.^#)
甘さ控えめ 皮はちょっと薄く ちょっと小ぶりでしたよ~
2個 ぺろりでした (≡^∇^≡)
あららぁ、さすが岐阜人ですねぇ!今のぼくには、とても手に出来ませんもの!