「天職一芸~あの日のPoem 62」

今日の「天職人」は、三重県名張市の「寫眞(しゃしん)師」。

晴れのち曇り時々豪雨 子供還りに彷徨う父を      妻といつも天気に例えた せめて父への尊厳として    褪せたアルバム広げては 縁で船漕ぐ小さな背      モノクロ写真の母が笑む 時代繰る手も夢の中

三重県名張市の「写真の川地」、五代目の川地清広さんを訪ねた。

「爺さんはハイカラな人やった。出張撮影に出掛けるんも、馬ん乗って颯爽とな。昭和二十年代後半までは、医者や髪結い、それと寫眞師くらいや。馬なんて乗れたんわ」。清広さんはコーヒーカップを傾けた。

写真の川地は、明治10(1877)年に久居市出身の川地長七により創業。

日本の国産写真の夜明けは、安政4(1857)年に遡る。長崎の舎密(せいみ)試験所にて、オランダ人軍医ポンペと長崎出身の門下生上野彦馬、そして上野の先輩に当たる津藩士堀江鍬次郎が、手製の写真と湿版写真用感光乳剤、更に現像用のコロジオン液を見よう見真似で完成させた。堀江の影響で、津藩主藤堂亮猷(とうどうたかゆき)が、当時最高級だった英国製人物写真機を購入。後に津の藩校に舎密学の講師として上野が招かれた。その頃長七は産声を上げ、十代後半の若さで写真館を開業した。

写真は参考

余談ではあるが、後に上野は長崎へと戻り「上野撮影局」を開業し、勝海舟や坂本龍馬など、幕末を駆け抜けた志士たちの雄姿を、歴史の一コマとして撮り続けた。

「これがその頃の硝子湿版写真や」。

写真は参考

清広さんは桐の箱を開いた。硝子の大きさは、縦十センチ、横七センチほどの手札サイズ。当時は硝子板に塗布した感光乳剤が濡れている間に撮影。肖像写真の場合、三十分ほどは動いてならず、首や頭がぶれないように托頭器(たくとうき/ヘッドレスト)を使用した。不動の姿勢を強いられた被写体たちは、まるで写真機に魂を吸い取られたかの様にグッタリだったとか。

写真は参考

硝子湿板に淡く浮かぶ、明治初期の裕福そうな家族。しかし家族の視線はいずれもバラッバラ。「昔の女性は袖に手を隠し、寫眞機に魂を抜き取られんよう、眼を合わさんだらしい。今や普通の人らがカメラの前で、堂々と肌を露わにする時代やのに」。隣で六代目を継ぐ長女美貴さんもうなづいた。

「自然の光に敵うもんはない。その光の中で生きる人々を、六代に渡ってファインダー越しに覗いて来たんやでなぁ。時代を切り取るようにな。まぁ、寫眞機持ったまま死ねたら本望や」。清広さんが穏やかな笑顔を向けた。

スタジオの中庭で、過行く夏を惜しむように、蜩が再び鳴き始めた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 62」」への9件のフィードバック

  1. 私の父の相棒は、独身時代からの愛用品、箱形皮ケース二眼レフのカメラです。
    子供の頃は、この古くさいカメラが嫌で仕方ありませんでしたが、今は、我が家のお宝です。

  2. おはようございます。
    写真師さんのお話ですね。
    ・(白黒の写真)写真術の看板良いですね。 昔の看板の字,デザイン,絵が、良いですね。
    ・ 川地さんさんの家は写真屋さんだったのですね。
    ・川地さん後継ぎさんが、見えて良かったですね。
    ・昔と今は、逆なのですね。(昔の女性は、写真に写らない様にしていたのですね。今の女性は、積極的に写真に写ろうとする事)私は、知りませんでした。勉強になりました。
    ・昔の写真の紙と白黒写真良いですね。貴重な資料ですね。
    ・考えて見ました。 私は、写真屋さんで、履歴書等の写真を、撮って貰った事ないです。
    ・私は、大分前に、写るんです(フィルム入りカメラ)を、使っていた事は、有ります。
    今は、携帯電話のカメラで、写真を撮ります。
    ・川地さんのお店は、街の写真屋さんですね。昔から有る写真屋さんですね。

  3. 写真機に魂を吸い取られる…
    遠い昔は 写真を撮る側も撮られる側も
    今とは少し違って 何か深さがあるような感じがしますね。
    時代は過ぎて 勝海舟さんや坂本龍馬さんの写真は当時の色が復元されたり…
    なんだかロマンを感じます( ◠‿◠ )

    1. もしかしたら、何もかもスピーディーな方が全てではないかも知れませんよねぇ。
      少なくとも、心が付いて行ける適切な速度も必要に感じます。

  4. 写真と言えば!
    オカミノファミリー皆さん全員で撮るのが好き!最後には集合写真!
    これは絶体必要⤴
    老後の楽しみに、写真は歌と同じで当時を思い出す事が出来るので・・・
    イイねぇ⤴
    話変わるけど
    家の近くの境川緑地の「桜」ちらほら多分、来週末には満開かなぁ~?
    ウォーキングコースには「ホトトギス」が「ホーホケキョ♪」
    西川のりおさんではありませんよぉ!って古いねぇ⤴
    誰も知らんねぇ!

    1. 集合写真と言うと、ついついぼくは端っこに立ってしまいます。
      昔から。今でも満々中でなぁ~んて言うのは、落ち武者殿に強制されなければ、決して無理です!
      なぁ~んと、奥ゆかしいぼく!

  5. ほんとですね ~
    オカミノファミリーさんとの集合写真
    オカダさん 奥ゆかしい ですね ~ ‼️‼️
    約 4年で 沢山の写真が た~くさん
    思い出が いっぱい いっぱい (#^.^#)
    撮って下さった オカミノファミリーさん ありがとう ☆
    そして これからも宜しくお願いしますね (。^。^。)

    今日 伊奈波神社から長良橋付近に桜を愛でに行って来ましたが 八分咲き
    今にも雨が降りだしそうで スマホで パチリパチリ❗とはいきませんでした

    父親の愛用していたカメラは 桐の箪笥の棚に そして黒い革のケースに入っていた事を思い出しました。

    1. 昔の方は、カメラでもなんでも、モノを本当に大切にしていましたものねぇ。
      家の父もそうでした!

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