今日の「天職人」は、名古屋市南区の、「庭師」。
糸の切れた凧を追い駆けた 茜空見上げ泣きじゃくる妹 鎮守の老木も木枯らしに鳴く 枝先の凧目掛け裸足で登った老木から見下ろす小さな町 鐘が鳴る 妹の心細げな顔 生傷と日焼けが誇りの腕白時代 怖さよりも勇気が勝っていた 何時からだろう 勇気を怖さが追い越したのは 何故だろう そうまでして ぼくらが大人になったのは
名古屋市南区で高塚造園を営む庭師、庭哲、高塚徹也さんを訪ねた。

「片道切符だけを持っての新婚旅行は、京都の職安でした」。高塚さんが重い口を開いた。
高塚さんは、東京の大学へ進学し、ワンダーフォーゲル部で山と出逢った。しかし危険と隣り合わせ。雪山で落石や滑落で仲間を失った。「あの頃は、『山屋』特有の、崖っぷちの緊張感に惹かれて」。相次ぐ事故を目の当たりにしても、決して山を下りようとはしなかった。そんな頃、山仲間に誘われ造園会社でアルバイトを開始。木に登るのも山登りの練習と嘯きながら。
二十五歳の暮れ。姉が保母として勤める、保育園の忘年会で栄養士だった典子さんを見初めた。結婚を目前に控えた頃、ヒマラヤ遠征の計画が持ち上がった。山の本当の怖さを知らぬ典子さんは、「ヒマラヤ行って来たら」と。しかし遠征前の冬山練習で、先輩が滑落。高塚さんは遂に山を下りた。そして結婚式を終えると、庭師の仕事を極めたいと、新妻を伴い京都へ修業に向かった。それが冒頭の、片道だけの新婚旅行の門出だった。

古都の名刹では、樹齢千年に及ぶ古木や、三千院の七百年を超す五葉松が待ち受けていた。五葉松の手入れには、一度に三十人の庭師が必要。毎年春と秋に登った。春は松の芽を折り、秋は剪定と葉毟りに明け暮れたそうだ。
「自分が毎年松に話し掛けるからか、松も自分が来るのを待っとるんですわ」と照れ臭げだ。「人偏に木と書いて『休む』と読むでしょう。やっぱり人の側には、木がないと・・・」。
風雪に耐え、里の暮らしを見守り続ける、鎮守の杜の老木と話す、かつての山屋。朴訥とした口調で、魂の欠片を紡ぎ取る様に、静かに静かに呟いた。
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「庭師」憧れる、職業だなぁ!
以前勤めていた会社の近くに豪邸があって、毎年正月前になると
職人さん達が寒さと戦いながら三脚にのって
庭の木の剪定、芝生の手入れをしていたのを思い出します。
庭師と言えば思い出すのがジョニーデップ主演の「シザーハンズ」
なんか?最後は私の目から「涙がひとしずく」落ちてきたような・・
今度、生まれて来る時は、何でもイイので「職人」になりたい!
さしずめギター演奏の職人になりたい。
石川鷹彦さん憧れるなぁ~!
誰?それって!
名曲「22歳の別れ」で伊勢正三さんの横でチャララ~ン♪
とギターを弾いている髭の生えた方です。
職人さんの多くは、自分の道具を自分で作られる方も多かったですねぇ。
自分の手に合う道具を!
こんにちは。庭師さんのお話ですね。
・高塚さん庭師の修行頑張ったのですね。
プロの方(職人さん)が剪定したら庭が綺麗になりますね。
・庭師さんで思い出しました。最近では無いのですがだいぶ前に庭師さんが、家に来た事有ります。剪定と木を斬りに、来ていました。
・自分で出来る方は良いですが、庭師さんが居ないと庭の剪定出来ない方は困りますね。庭師さんの技術,職人さん残って欲しいです。
・職人さんの後継ぎ探し大変ですね。
・(写真)三千院 五葉松綺麗ですね。
少し前のブログに 味噌蔵で艶歌を流すと”ええ味に育つ” とあったように やはり樹木も手を掛けてくれる人のことがわかるんでしょうね ( ◠‿◠ )
季節が変わる度に待ち焦がれているかも⁈(笑)
何かを極めたいと思い それを実行する…山登りから庭師。
なかなか出来る事じゃないですよ。
ブログを読みながら この方の顔つきなんかを想像してしまいました。
柔和でガッチリとした方だった記憶があります。
シザーハンズ、DVDで所持していて、先日職場のデイサービスで上映して好評でした。僕には庭師といえばバカボンのパパです。個人的に庭師に憧れます。芸術家ですよね。そして自分が亡くなったあとも誰かがその庭を引き継いでいく、、、。なんとも壮大なプロジェクト!
確かに確かに、仰る通り!
名立たる庭園の樹木は、何百年ってご存命ですものね。
追伸・石川鷹彦、木田高介はかぐや姫のアレンジをしていましたね!木田高介の企画もののCD持っています!ヤマモもさん、今度お会いした時にこの話をしましょう。