「昭和Nostalgia」(516)

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こんな森永の「エンゼルパイ」って、ご存知ですか?

冒頭の写真は、森永製菓のHPによれば、昭和36(1961)年の誕生当時のパッケージのもののようで、当時は1個20円だったとか。

「エンゼルパイ」の特長は、チョコレートとマシュマロにビスケットと言う、この3つの馨しさが醸し出した初めての食感でした。

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高級なイメージのあったマシュマロ。

そして森永製菓が創業当時から力を注いだチョコレート。

それに森永製菓看板商品のビスケット。

この三種の神器ならぬ、子どもたちの羨望の的とでも言うべき、三種のお菓子が組み合わされちゃったんですから、もうまさに天下無敵だったわけです。

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でも子どもの頃、憧れて憧れてならなかった「森永のエンゼルパイ」は、ぼくの記憶の中ではこんな箱入りだったと思っておりましたが、何だか微妙なところです!

森永製菓さんのHPの年表を拝見すると、ぼくの小学校の遠足は、こっちのパッケージの1個30円時代だったのかも?

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いずれにしても、当時の遠足のお菓子代の中では、群を抜いて高価な逸品であり、子どもたちの人気の的であったに違いありません。

なんだか無性に「エンゼルパイ」が食べたくなっちゃいましたぁ!

こんどスーパーのお菓子売り場を覗いて手に入れたら、ウイスキーの水割りのあてにでもしてみますかぁ!


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「昭和Nostalgia」(515)

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子供の頃のわが家には、こんな手動式のジューサーなるものが、ある時登場し一大旋風を巻き起こしたものの、わずか1シーズンかそこいらでお払い箱と成り果て、押入れの奥深くに仕舞い込まれたものでした。

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まぁ、せいぜいがこんなミカンの生絞りジュース程度の、極めてスタンダードなジュースくらいしか、作ってもらえなかったような?

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そもそもは、ご近所でも何かとハイカラなご家庭と評判だった、Fちゃん家にお呼ばれした時にいただいた、電動のジューサーであっと言う間にオバちゃんが作ってくれたイチゴジュース!

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こいつをいただいてそのあまりの美味しさに釘付けとなった事があり、事ある度にお母ちゃんに「家にもジューサーがあったらいいのになぁ」と小声で呪文のように、囁き続けた結果が、冒頭の手動のハンドジューサーの登場と相成ったのです。

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当時の電動ジューサーは、きっとまだまだ高価なものであったんでしょうね。

お母ちゃんが何処でどう工面して来たものやら、手動のハンドジューサーのご登場となりました。

最初の頃こそ生絞りのジュースの美味しさに、お父ちゃんもぼくも舌を巻いて絶賛したものの、ジュースを絞るための準備やら、その後の後始末と片付けが殊の外手間取ったのか、徐々に登場回数も減り続け、いつのまにやらお蔵入り!

まぁしかし、思い返してみると、何も手動のハンドジューサーに限らず、ついつい夢を膨らませて新たな器具を購入したとしても、宝の持ち腐れとでも言いましょうか、そうやっていつの間にかお蔵入りとなって仕舞ったものも、アレやコレとあったような気がいたします。


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「昭和Nostalgia」(514)

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これが何だかご存知ですか?

ぼくは幼い頃、お母ちゃんと買い物に行くたびに、市場のうどん屋さんや魚屋さん、そして肉屋さんの仕事ぶりに興味を抱き、真似っこしながら遊んだものです。

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中でも肉屋さんのオジサンが、こんなミートチョッパーの受け口に、肉の塊を放り込み、手動のハンドルをクルクルと回すと、挽き肉となって口から吐き出されてくる姿が不思議でならず、そんなオジサンの手付きを必死に背伸びしては覗き込んだものです。

そしてあのミートチョッパーのハンドルが、もう回したくって回したくって!

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でもさすがに、ミートチョッパーの代用品となりそうなものが、わが家の中で見当たらず、肉屋さんゴッコは断念せざるを得なかったものです。

まぁ幼い頃は、何でもかでも、大人の真似がしたくってしたくって。

興味津々だったものです。


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「昭和Nostalgia」(513)

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今日も昭和の喫茶店文化を、懐かしむことにいたします。

あの頃の喫茶店では、如何にも常連気取りで、注文の品を短縮語で呼んで見たりしたものでした。

思い返せばぼくも、彼女とのデートの折りだったか、さも通ぶってレモンスカッシュを「レスカ」なぁ~んて呼んでいたような?

皆様もそうやって、通ぶってお呼びになった事が、おありだったのでは?

まずは、スタンダードなところから行けば、ホットコーヒーは「ホット」、アイスコーヒーは「レイコー」、そいでもってアメリカンコーヒーは「アメ」とか、カフェオレは「オレ」、アイスカフェオレは「アイオレ」に、ミルクティーは「ミティー」とかって。

さすがにぼくは、「アイオレ」やら「ミティー」と呼んだことはありませんでしたし、何よりそんな短縮語は聞いたことも無かったような?

さらに、グレープフルーツジュースを「グレジュー」、オレンジジュースは「オレジュー」って!

これまたぼくは、耳にしたことも無い、短縮語でもあります。

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でもそう言えばぼくも、クリームソーダを「クリソー」って呼んだ事があったやら?

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それとタマゴサンドイッチを「タマサン」、ハムサンドイッチが「ハムサン」で、ミックスサンドは「ミーサン」とか。

これまた初耳の短縮語でもあります。

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どっこいパフェともなろうものなら、プリンパフェを「プリパ」、イチゴバフェなら「ストパ」、も一つおまけにチョコレートパフェが「チョコパ」とか!

ぼくが足蹴く通った田舎の喫茶店では、そんな洒落たメニューが無かったから、耳にしたことも無い短縮語だったってぇ事なんでしょうかねぇ?

それにしたって、こんな短縮語の呼び名が一定の割りで定着したほど、庶民の暮らしの身近に、町の喫茶店は根付き、愛され続けていた証だったのかも知れませんですねぇ。


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今日も昭和半ばの、喫茶店事情の懐かしき残像を、ご紹介させていただきます。

喫茶店でホットコーヒーやアイスコーヒーを注文すると、コーヒーカップやグラスの傍らに、コーヒーフレッシュが入った、銀色の小さなピッチャーが添えられていたものです。

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どこのどなたが始められたのかは、皆目見当が付きませんが、こっそり小さなピッチャーを持ち帰り、それを自分のキーホルダーに取り付けていらっしゃる方たちがおいでになりました。

って、・・・そう言うぼくも、同じような事をしたような?しなかったような?・・・。

でも当時は、小さなピッチャーをキーホルダーのアクセサリーとして、ジャラジャラと取り付けるのが流行っていたような?

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とは言え、通いなれた喫茶店から失敬した、小さなピッチャーを取り付けたキーホルダーを、何の罪悪感も持たずか、堂々と喫茶店のテーブルの上に置いていたものです。

まぁ、マスターやママさんも、それにウエイトレスさんも、それを見て見ぬふりをなさっていたような?

何とも寛容な時代だったのかも知れません。


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昭和半ばは、町のあちらこちらで、喫茶文化が花盛りだったものです。

今じゃあすっかり、町の中の喫茶店は、見かけられなくなっちゃいましたよねぇ。

そう言えば、コーヒーチケットなんてぇのも、すっかりお目に掛らなくなってしまったようです。

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喫茶店のキャッシャーの近くの壁とかに、まるでスナックのボトルキープさながらに、チケットに名前やニックネームが書かれて貼り出されてたものでした。

ぼくも行き付けの喫茶店2店舗ほどに、コーヒーチケットを置いていた気がします。

確かコーヒー10杯分のチケット代金で、おまけの1杯分がサービスされる仕組みで、その都度コーヒーを飲み干す度、切り取り線から一枚ずつ切り離されて行ったものでした。

皆様もコーヒーチケットをお求めになられていたのでは?


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「昭和Nostalgia」(510)

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昭和の時代にゃあ、こんな広告入りのベンチが、バス停やら公園などに置かれていたものでしたねぇ。

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ぼくも中学3年の頃、交換日記をしていた女子と、こんなベンチの端っこと端っこに腰掛け、大学ノートを手渡したりしたことが、あったような、無かったような?

色んな広告の入ったベンチでしたから、座ろうとするベンチも、背もたれの広告とは言えど、ちょっとはお洒落な感じのロゴとかが描かれたベンチを、知らず知らずに選んでいたような?

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こんな、お盆やお彼岸、或いは喪服姿で腰掛けたいベンチとか。

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中にゃあこんな見たことも無い広告のベンチまで!

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調べてみるとありました、ありました!

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その名もズバリ「競馬ポマード」。

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さすがにぼくは見た事さえありませんでした。

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これはお世話になった事があったような?

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さすがに牛乳や乳製品好きのぼくではあっても、このパイゲンってぇのはお見掛けしたことがありませんでしたねぇ。

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雰囲気からすると、ビタミンCの入った、フルーツ牛乳のようなお味だったんでしょうか?

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こんな粋なベンチがあったら、受験シーズンには受験生で押し合いへし合いかも?

あなたの青春時代は、想い人とどんなベンチに腰掛けられましたか?


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ぼくも小学校の低学年の頃は、近所の子ども達と一緒に、藁縄の大きな輪っかの中に一列に並んで、こんな電車ごっこをしたものです。

今になって思い返せば、何がどーオモシロかったのやら・・・。

ただただ藁縄の輪っかの中に身を投じ、一列に並んであっちへフラフラ、こっちへフラフラ。

停車駅なんてぇのがあったんでしょうかねぇ?

輪っかの先頭が運転士役で、最後尾が車掌役だったんでしょうねぅ?

そう言えば、車掌カバンのオモチャを買ってもらった子が、自慢げに最後尾でカバンを斜め掛けし、得意げになっていたものでした。

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でも、車掌さん役の子が、車内を巡回して検札をするなんてぇ真似事は、ありませんでしたねぇ。

そりゃあそうですよねぇ。

両手で藁縄の輪っかを掴んでなきゃならないんですから、基本的に車内の移動は出来ないわけですものねぇ。

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さすがに東京のラッシュアワーの真似事なんて、そんな物騒なことしませんでしたですねぇ。


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「昭和Nostalgia」(508)

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いよいよ、泣いても笑っても、楽しかった子どもたちの夏休みも、ついに最終日ってとこですねぇ。

ぼくも小学生の頃、夏休みの最終日は、気分がどんよりとして、腑抜けたようになっていたものです。

その理由の一つは、とうとうお父ちゃんやお母ちゃんにも見放された、手付かずのままの夏休みの宿題。

まぁこれは、遊び呆けていた己の自業自得ですから、潔く二学期の初めに、こっぴどく先生に叱られればそれでご破算!

もう一つの理由はと言えば、新学期が始まる前に、床屋へ行かされたこと。

わが家がそうであったように、近所の子どもたちの家の多くも同様であったのか、床屋の前は子どもたちで鈴なり状態。

床屋の中に入り切れず、炎天下の店の外で何時間も待たされたもの。

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やがてぼくの順番が回って来ると、大人用の理容椅子の上に、子ども用の補助椅子があてがわれ、そこにちょこんと腰掛けると、手動式のバリカンで後頭部をジャキジャキッ!

有無を言わさぬヘアスタイル、程よい刈り上げの「坊ちゃん刈り」の一丁上がり!

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何時間も待たされた割りにゃあ、カットの時間なんてほんの10分足らず。

その二つが、夏休みの終わりの、ぼくにとって最大級の憂鬱の原因でもありました。


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「昭和Nostalgia」(507)

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まだ小学校の低学年だった頃、内海だったかへご近所さんのご家族とご一緒に、夏休みのある日、わが家も家族で海水浴に出掛けたものでした。

そこで目にしたのが、見ず知らずのぼくより4~5歳くらいお兄ちゃんが、「腕白フリッパー」で見たような、足ヒレを手にしているじゃないですか!

あんな高価を足ヒレで潜ったら、さぞかし泳ぐスピードも出て、より深く潜ることだって出来るんだろうなぁと、近所の友達と羨ましくってならず、ついついため息を吐いたものでした。

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深い海の中ってどんな景色何だろうって、ただただ妄想を膨らませるばかり。

当然その見ず知らずのお兄ちゃんに、足ヒレを貸してなんて言えっこありませんし、お母ちゃんに足ヒレを買って欲しいなどと、間違っても言えっこありません。

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そうして日帰り海水浴を終え家に帰ったものの、足ヒレが頭からどうにも離れず、何か足ヒレの代わりになるものは無いものかと、家の中を物色したものです。

そうしてやっと似ても似つかぬ足ヒレ擬きを見つけ出し、お風呂に水を張って、足ヒレ擬きを履いてバタ足!

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しかしどんなにバタバタやったって、これじゃあ肝心のヒレに当たる部分が無いため、なんともはや・・・。

そして考え付いたのが、お風呂掃除用のブーツの底に、下敷きを半分に切ってボンドで貼り付けりゃあいいんだ!と。

体を拭いてお風呂から上がり、なけなしの一枚しかない下敷きを縦に半分に切ろうと、ハサミを構えた瞬間!

「あんた、何しとるんやぁ~っ」と、お母ちゃんの憤怒の形相に見舞われタジタジ。

「しかも風呂掃除用のブーツまで水浸しにしてまって、何やっとんや~っ」と、その年の夏休み最大のピンチに見舞われたものでした。

ガックシ。


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