「昭和Nostalgia」(440)

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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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幼い昭和も半ばの頃、近所の腕白坊主やお転婆娘らと、明けても暮れても辺り構わず駆けずり回って、遊び呆けていたものです。

参考

特に一番影が長く伸びる夏至の頃には、こんな影踏みをして、キャッキャキャッキャと飽きることなく愉しめたものでした。

写真は参考

もうかれこれ60年近く、影踏みなんてやってない気がいたします。

って、この歳になって、何人かのジジババで影踏みなんぞをしていようものなら、何か良からぬ新興宗教にでも被れた一団かと、奇異な目を浴びせかけられるに違いないでしょうねぇ。

自分の影を自分で踏もうと、何度も何度も試みてはみるものの、一度として踏めたためしなどありません。

参考

そもそもこの影踏み遊びは、古来からあったものなんでしょうが、昼間の影踏みと、夜の月明かりの下での影踏みとでは、同じ遊びとは言え妙に意味合いや観念が異なるように思えます。

昼間のお日様の下での影踏みなら、幼子たちの無邪気な戯れと受け止められます。

しかし月明かりの下での影踏みとなりますと、幼子たちの無邪気さなどは消え果ててしまい、妙に呪術的な景色が感じられるようで、不思議な感覚を覚えます。

皆様方も影踏みに興じられたことはおありですか?

それはお日様の下で?

或いは、月明かりの下ででしたか?


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「昭和Nostalgia」(439)

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今日の番外編「昭和Nostalgia」はコチラ!

とある立体駐車場!

駐車場の係員さんならぬ、駐車場の係猫さんがおいでになりました。

操作盤に暗証番号を打ち込もうとして、いや?待てよ?

ここに係猫さんがいらっしゃるってぇ事は、もしかしたら暗証番号なんかじゃなくって、猫じゃらしとか、チャオチュールとかが、袖の下として必要なんじゃないのか?と、思わず慌ててしまったものです!

写真は参考

しかし!

取り敢えず、猫じゃらしもチャオチュールの持ち合わせも無く、ええ~いままよとばかりに、暗証番号を打ち込んでみました。

それでも係猫さんは、なんら動じる気配もありません。

やがて車を載せたパレットが到着し、駐車場の扉が開くと、「ハイッ、どうぞ!」とばかりに、係猫さんはさっきまでの定位置から、ササッと移動されて行かれました。

まぁその、実に軽やかな身のこなしと来た日にゃあ!

相当に年季の入った、駐車場係猫さんとしての、永年のキャリアを感じさせるに相応しい、実に堂に入った立ち居振る舞いでございましたぁ!

いやはや、天晴れ天晴れ!


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「昭和Nostalgia」(438)

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こんな泪を零す人形を初めて見たのは、ぼくが確か24歳の頃の事だったでしょうか?

昭和ももう第4コーナーを回った頃!

従兄妹の家にお邪魔し、従兄妹の愛娘と遊んでいた時の事だったような?

愛娘が人形の額に手を当て、「少しお熱が出ちゃいましたねぇ。それじゃあちょっとお注射を打っておきましょうねぇ」と、人形の左袖を捲し上げ、注射を始めたんです。

きっと愛娘は、自分が病院で看護婦さんに注射していただいたシーンを、真似ていたんでしょうねぇ。

「ちょっとチクッとしますけど、怖くありませんからねぇ」と愛娘は人形に優しく語り掛け、ゆっくりと注射器のプランジャを押し込んだのです。

すると人形の目から、大粒の泪が溢れ出すではないですか!

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もう、なんともはやただただビックリ!

でもさすがに人形は、泣き声を上げるわけでもなく、静かに大きな瞳を濡らすだけ!

ぼくなんて腕白坊主でしたから、こんな可愛らしい人形なんて、もちろん一つも持っているはずもありませんでしたし、昭和半ばの頃の周りの女の子が持っていた「お人形ゴッコ」の人形は、決して注射を打たれて、泪を流したりするような精巧なものじゃありませんでした。

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しかし昭和も第4コーナーを回る頃には、女の子のお人形もリアルなものに進化したもんだと、ちょっとおませな口調でご満悦な、従兄妹の愛娘を眺めながら、ぼくはただただ感心しきりだったのを覚えております。


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「昭和Nostalgia」(437)

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こんな糸巻きの芯を使った、手作りオモチャってありましたよねぇ!

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材料なんて、どこのご家庭にでもあるようなものばかり!

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カタカタと音を鳴らしながら、机の上や畳の上をゆっくりと動いて行ったものでした。

子どもの頃の手先の器用な友は、皆に頼まれ、いくつもいくつも得意げに作ってやっていましたねぇ。

って、ぼくもその口の一人だったに違いありませんが!

家にはお母ちゃんの洋裁の内職で使った後の、糸巻きがそれこそゴロゴロと転がっていましたから、友に持って行ってやったりしたものでした。

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この糸巻きのオモチャって、ところでなんてぇ名前で呼んでいたものやら?

遠き日の残影は、日に日に薄れゆくばかりですねぇ!

いつの日にやら初孫が生まれたら、糸巻きオモチャを作ってやりたいから、今のうちに作り方をネットで調べておかなきゃ!

って、でも孫はそんな超アナログな手作りオモチャなんて、見向きもしてくれないやも?

なんてぇこったい!


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「昭和Nostalgia」(436)

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しかしまだ6月の半ば過ぎだと言うのに、もうすっかり真夏並みの猛暑に見舞われ、体がとても追い付いて行きそうにありません!

こんな時こそ、お母ちゃんに泣いて縋って買ってもらった、家庭用のかき氷機の出番ですねぇ!

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って言ったって、当時お母ちゃんが買ってくれたかき氷機は、時の彼方に置き忘れて来てしまってますから、いやはや何とも仕方がありません!

わが家に家庭用のかき氷機がやって来たのは、ご近所のご家庭のほとんどで見かけるようになって、さらにしばらく経ってからのこと。

それでもかき氷機がわが家に配備された日は、放課のチャイムが鳴ると、ランドセルを背負って大急ぎで家路を走り抜けたものでした。

そして冷蔵庫の製氷機から氷を取り出し、かき氷機の受け皿に入れ、上部のハンドルをクルクル!

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するとかき氷機の下にセットした、ガラス製の器に淡雪のようなかき氷が小山を築いたものです。

そしてイチゴ色したかき氷用の蜜を掛けるのはいいんですが、「こらっ!ハイッ、そこまで!掛け過ぎやぁ!」とお母ちゃんに見咎められ!

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ぼくは少しでも多くイチゴの蜜を掛けようとするのに対し、お母ちゃんはそんなに贅沢に蜜を掛けさせてなるものかと、母子の攻防戦が繰り広げられたものでした。

しかし、そんな昔話を想い出したところで、現実として涼が取れるものでも無し!

かくなる上は、コンビニやスーパーで見かける、カップ入りのかき氷や、鹿児島天文館むじゃきの名物「しろくま君」でもお取り寄せするか!

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それはそれで喉元を通る間は、この世のモノとは思えぬ至福を感じられても、どうにもその後、口の中と喉に甘さが居残り、子どもの頃とは異なり、どうにもこーにもすっきりしないのも事実!

やっぱりこーなったら、とっておきのキリン晴れ風で喉を潤すしか術がないかぁ!


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「昭和Nostalgia」(435)

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これをご覧になって、思わず懐かしい!と、心の中でつぶやかれた方は、これまた押しも押されもせぬ、昭和の腕白坊主だったに違いありません!

どこででも手に入った、使用済みの割り箸と、肉や野菜が包んであった新聞紙を止めた輪ゴムさえあれば、立派な割り箸ゴム鉄砲が完成!

って言ったって、手先の不器用なぼくには、こんな立派な割り箸鉄砲など出来るわけもありません。

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まぁせいぜいぼくが、仲間たちの作品を真似て作ったとしたら、この程度がやっとこさ!

果たしてここまで自力で出来たであろうかと、今さらながら己の不甲斐なさを痛感するばかりです。

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もしかしたら仲間たちのゴム弾を被弾しながら、こんな奥の手の指鉄砲で応戦していたやも知れませんねぇ。

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だから日曜日を待ち侘びて、ぼくとは裏腹に手先の器用だったお父ちゃんにせがんで、仲間に負けぬほど立派な、割り箸ゴム鉄砲を拵えてもらい、広場へと駆け出し自慢のゴム鉄砲を連射して、憂さを晴らしたような気がいたします。

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TVゲームもゲーセンも無かった昭和の半ば。

そこら辺に転がっていた廃材を利用しては、自らの遊び道具を工面していたものでしたですねぇ。

果たしてお父ちゃんは、日曜日を待ち構え、割り箸ゴム鉄砲作りをせがんだぼくを、どう思っていた事でしょう?

せっかくの日曜日なのに・・・と心の中で思っていたのやら?

はたまたお父ちゃんを頼って縋ったぼくを、お父ちゃんは心ならずとも、嬉しく思ってくれたことやら?

ぼくにして見たら、お父ちゃんお手製の、割り箸ゴム鉄砲は、仲間たちの誰よりも立派な、自慢の割り箸ゴム鉄砲だったはずです!


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「昭和Nostalgia」(434)

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小学生の頃の通学路は、子どもたちにとって宝物の宝庫でした。

カエルやザリガニ、蝶にトンボにバッタ、ヘビイチゴやらカタバミ。

その中でも、一際不思議でならなかったのがこの「オジギソウ」。

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指先で葉の先っちょを突くと、葉が閉じて一本の枝のように縮まり、まさにその名の通りお辞儀するかのように頭を垂れてしまいます。

参考

学校帰りの通学路で見かけると、道端に屈みこんでオジギソウと、飽きもせず戯れたものでした。

子どもの頃は、植物が動くことをそれほど気にもしていませんでしたが、今頃になってそのメカニズムがどうにもこーにも気になり、調べてみました。

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するとオジギソウは、葉をバッタなどの昆虫に齧られると、大急ぎで葉を閉じるんだそうです!

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葉を閉じて一本の枝のように変化することで、バッタなどの昆虫は葉を食べられなくなり、あきらめて別の場所へと移動していくんだとか!

まるで謙虚にお辞儀をするかのようなオジギソウは、頭を垂れながらもしたたかに、種を絶やさぬよう努めていたんですねぇ。

天晴れ!天晴れ!


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「昭和Nostalgia」(433)

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小学校の工作の時間に、こんなスティック状のきびがらを切って竹籤に刺し、動物や人形を作ったことがありませんでしたか?

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手先が不器用で図工の時間が苦手だったぼくではありましたが、このきびがら細工の時間だけは大好きだったように記憶しております。

確か近所の一文菓子屋にも、きびがらのスティックが売られていて、それを買い求めては家でも何かかしら作って遊んだものです。

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でももう今ではすっかり見かけなくなりましたですねぇ。

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ぼくが工作で使っていたきび(黍)は、茎の元のほうの皮をはいだ髄の部分を染め、工作に用いたものだったようです。

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大正末から昭和10年代にかけては、小学校低学年の教材とされていたものの、現在では郷土玩具の製作に用いられているのだとか。

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だとすると、昭和40年代初頭の頃まで、ぼくの通った小学校では、きびがらを図工で使っていたってぇ事になりますから、ずいぶん昔からあった教材を四半世紀後の世でも、現役として活用していたってぇ事なんでしょうかねぇ?

同時にその時代までは、一文菓子屋の店先でも販売されていたんですから、ぼくらはきびがらが教材として使われた最後の世代だったのかも知れません。

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あのきびがらの感触、いまでもしっかりと覚えています!


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秋になってドングリを拾うと、こんなやじろべえ作りなんかしませんでしたか?

軸の竹籤は、確か火鉢の上で炙って曲げたような?

支点を人差し指の先に載せると、たちまち左右にゆっくりと傾き出す。

例えば右に傾ききると、今度は反対の左側へとゆっくり傾きだす。

参考

そんな単調な動きをただ眺めるだけの、極めて静かな遊びではあったものの、不思議とその動きに見入ってしまったものでした。

こんな伝統玩具のやじろべえは、江戸時代の享保の頃の浮世絵にも描かれているとか。

ある説によると、振り分け荷物を棒の先に吊るし、肩に担いで振り分け荷物を運ぶ弥次郎兵衛(東海道中膝栗毛の登場人物)に由来するんだとか。

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なるほどなるほど。

今になってやじろべえが、左右に揺れる姿をながめていると、ついつい様々な感情が沸き上がってまいります。

貧富貴賤・喜怒哀楽・勝ち組負け組、とその時点では、例え恵まれたものが最上部に上り詰めたとしても、そのままその場所に留まる事は決して許されず、いつしか最下部へと下り詰め、それまで恵まれていなかったものが逆に、今度は頂点を極める。

右へ左へ、やじろべえは振れ続ける。

まるであたかも人の業を体現するかのように。

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勝ってもいい、奢らなければ。負けてもいい、腐らなければ!

例え今、最下部にいたとしても、必ずいつかやじろべえのように、再浮上するはずだから!

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ぼくはやじろべえが、支点を中心に、左右が一直線となって停止した時点で、可もなく不可もなくこの世に暇乞い出来ることを願ってやみません。


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「昭和Nostalgia」(431)

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昭和半ばの小学生時代。通学路の畦道の周りで、こんなカタバミの果実が枯れたように、少し茶色く変色して実が膨れているのを見かけると、手で突いたりしませんでしたか?

すると実の殻が弾けて、小さな種子がパ~ッと飛び散るのが、もうそれはそれは愉しくって!

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ついつい時間も忘れて、地面に屈みこんだまま、次はあっち、今度はこっちといった調子で、茶色く変色して今にも弾けそうな果実を、突き回ったものでした。

実は、この種を飛ばす草の名前は、今になって「カタバミ」と言う名であったことを知りました。

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何とこのカタバミ、少しなら食べることもできるようです!

葉っぱを齧ると酸味があり、その酸味はシュウ酸と呼ばれるもので、ホウレンソウに豊富に含まれているんだとか。

確かにネットには、サラダとして食べるなぁ~んてぇのも散見されました。

まぁ確かに、小さな小さな「オクラ」に見えなくもありませんよねぇ。

またこの酸味の素であるシュウ酸には、サビを落とす力もあるようで、青銅や真ちゅう製のものをカタバミの葉で磨くと、サビが落ちピカピカになるんだとか!

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それはそうと「カタバミ」の種子は、何と何と最大1mをも飛ぶんだそうです!

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自分ではどこにも歩いて移動できない、そんな植物ならではの秘策。

種を保存し継承してゆくため、種子を飛ばすと言う、独自の進化を身に付けたってぇことなんでしょうねぇ。


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