「昭和Nostalgia」(488)

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初めてこんな「飛び出す絵本」なるものを見たのは、小学校低学年頃の、近所の友の家だったでしょうか?

なんせ表紙を開いた途端、物語の主人公がビヨヨ~ンと、立体的に飛び出す仕掛けに、圧倒されちゃったものでした。

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実に巧みな仕掛けに驚くばかりで、本の内容なんかよりも、飛び出す仕掛けの方ばかりが気になって気になって!

自分でも真似してやってみようとは試みたものの、なにより絵心の無さが浮き彫りとなり、とんと話にならず、直ぐに挫折し音を上げてしまっておりました。

もしもぼくにも絵心があって、マンガを描けたり出来たら、飛び出す絵本でラヴレターを作って、意中の彼女にプロポーズなんてぇ、粋な事も出来たのかも知れませんですねぇ!

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この飛び出す絵本は、1932年にアメリカの出版社が、本のページを開くと自然に絵が立ち上がるようにした仕掛けを開発し、それを“ポップアップ”と名付けたんだとか。

その後、1970年頃から再び世界中で出版が盛んになり、ページを開く度に三次元の世界に誘われる仕掛けは、時代を越え長い間大人も子どもも魅了して来たようですねぇ。


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「昭和Nostalgia」(487)

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こんなに大きなジグソーパズルって、ご覧になった事がありますか?

ぼくはここまで大きなものではありませんが、畳一枚ほどの大きさのモノを、30年近く前に見たことがあります。

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そこは、海外のリゾートホテルのロビーでした。

ゆったりとしたロビーに大きなソファーがL字型に置かれ、その足元のフロアーに畳一枚ほどのジグソーパズルの型枠が敷かれており、傍らにはまだ組み込まれていないパズルのピースが散らばっていたものです。

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ぼくがその場で目にした時は、ヨーロピアン風の老夫婦が、それぞれに小さなピースを手に取り、そのピースの配置場所を探しながら「こっちでもない」「いや、あっちでもない」ってな感じで、とても贅沢な時間を愉しげに弄んでおられているようでした。

何かとせっかちな日本人には、なかなか真似の出来ない、とても素敵な大人時間の過ごし方だと痛感したものです。


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「昭和Nostalgia」(486)

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これだけ酷暑が続くと、どうしても喉越しヒンヤリの、冷や麦や素麺が恋しくなってしまうものです。

子どもの頃は、こんな色の付いた冷や麦が食卓に上ると、真っ先にピンクや緑色した冷や麦を、覚束無い手付きながら箸で掬い上げたものでした。

とは言え、ぼくは一人っ子でしたから、兄妹で競い合う必要もなく、お父ちゃんやお母ちゃんは、ぼくが色付きの冷や麦を狙っていることを百も承知。

だから慌てることも無く、ぼくは独占的に色付きの冷や麦を手に入れられたものでした。

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ところがどっこい!

みよし市に住んでいた従兄妹たちが夏休みに泊まり込みでやって来た日の事。

お昼ご飯に色付き冷や麦が卓袱台の上にデーン!

浸けだれの入ったガラスの器を手にし、大きなガラス鉢に浮かぶ冷や麦に箸を伸ばそうとしていると、両脇からやおら体を乗り出す従兄妹たち。

脇目も振らず、冷や麦の器に箸を伸ばし、いの一番に色付き冷や麦を掬い上げているではないか!

浸けだれの入ったガラスの器を手にしたまま、ぼくは目の前で繰り広げられる、色付き冷や麦の争奪戦を呆然と眺めているばかりだったものです。

ガラス鉢の中に浮かぶ冷や麦は、どれもこれも真っ白けっけ!

色付き冷や麦は、瞬時に従兄妹たちの浸けだれの中に消えてしまっていて、幼いぼくはとても悲しい気持ちになったものです。

「あ~あ、色付き冷や麦はみんな取られてまったかぁ!」とお母ちゃんがやって来て、ぼくの浸けだれの中にピンクと緑の冷や麦を入れてくれたじゃないですか!

「どうせ一人っ子やで、食べ物の取り合いを経験しとらんで、そんな事やろと思って、ちゃんと別にしといたったんや」と。

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そう言えば、ぼくはおやつの取り合いでも、いつも周りの者より後れを取り、貧乏くじを散々引かされたものでした。


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「昭和Nostalgia」(485)

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これは三重県の伊勢志摩地方の海女さんに愛用された、その名も「海女眼鏡」です。

そんじょそこらの子ども用の水中メガネとは異なり、海中のお宝を目掛けて素潜りする、海女さん達に指示された手作りの眼鏡です。

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海女さん達は、魔除け用の白い手拭いを頭に巻き、この海女眼鏡を付けて、颯爽と海底へと潜ったそうです。

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魔除けの白い手拭いには、急急如律令の文字と、五芒星、それに横に五線、縦に四線のドーマンセーマンが描かれており、海底深く潜る海女たちの厄除けであったとか。

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ぼくが子どもの頃に買ってもらった水中メガネは、とてもお洒落とは言えぬ武骨な感じのもので、眼鏡自体が大きくって、小さな子供の顔にフイットせず、水の中に潜るとすぐに水が入り込んでしまい、眼鏡を外しては水を掻き出さねばならない、何とも面倒なものでした。

それでも水中メガネを買ってもらった夏休みは、従兄妹のいる三重の田舎の川や、海水浴に連れて行ってもらった海で、大いに大活躍してくれたものでした。

まぁ、その年一番、水中メガネが活躍したのは、わが家の水風呂。

お風呂に水を張り、沸かす前の水風呂の中に水中メガネを付け、飽きもせず何度も何度も素潜りを愉しんだものでした。

今思うとそれのどこが愉しかったのやら、もうさっぱり思い当たりません。


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「昭和Nostalgia」(484)

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貴方の地域では、「ふんじょけ」、それとも「えんがちょ」のどちらで、犬のウンチを踏んずけた者を、子ども同士囃し立てたものでしたか?

ぼくらの地域では、「ふんじょけ」でした。

もしこれをご覧の方が、お食事中やお茶の時間をお愉しみ中でありましたら、どうかどうかご容赦願います。

ぼくが小学生の頃の通学路は、田んぼ道でした。

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まだまだ何事にも緩かった時代、野良犬がそこら中を徘徊していたりしたものです。

ですから当然、田んぼ道のあちらこちらには、野良犬のウンチがボトンボトン。

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友と昨日の夜のTV番組の話しに夢中になって、田んぼ道の足元を気にしていなかったりすると、たちまち野良犬が放り落としたウンチをズックで踏みつけ、それをあざとくも目撃された仲間から、「〇〇君、ふんじょけだぁ~っ!」と言って、人差し指と中指を絡め、「ふんじょけ錠か~った!」と宣言し、人差し指と中指を絡めた手を天に向けて放ち、人差し指と中指を放して「天の神様に預~けた!」と、呪文を唱えたものでした。

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そうすれば、ウンチを踏んだ「ふんじょけ」の輩に、たとえ触られても、もうぼくには「ふんじょけ」がうつったりしないという、有難い厄除け祈願でもあったものです。

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とは言え、かくいうぼくも、ついうっかりしていて、「ふんじょけ」呼ばわりされたことも多々あったものです。

さすがにその日一日は、気分もサゲサゲだったものです。


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「昭和Nostalgia」(483)

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これをご覧になって、直ぐになんのスコアーかお分かりになったら、これまた立派な昭和人に違いありません。

ぼくが中学2~3年の頃、ボーリングが大ブームで、どこのボーリング場も超満員!

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3時間待ちなんてざらだったものです。

それでも平気で待てるほど、ボーリングをやりたくってやりたくって、誰も彼もが同じ思いであった事でしょう。

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やっとのことでレーンを割り当てられると、真っ先に貸しボールを選び、スコアーに自分の名前を手書きしましたねぇ。

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誰もが中山律子さんに憧れたものでしたですよねぇ!

もう何十年とボーリングをしたことがありませんが、今やスコアーも自動で記録され、TVモニターに表示されちゃうんでしょうねぇ。

昭和のあの頃は、ゲームの点数を計算し、スコアーに手書きしたものでした。

それなりに手書きのスコアーも、味わい深いものでしたけどねぇ。

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何とも驚きですが、ぼくらのボーリングブーム時代のもっと前は、ピンのセットも自動じゃなく、裏方ではこんな風に手作業でピンやボールを扱っていたようです!


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「昭和Nostalgia」(482)

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昭和の昔、こんなエロ本の自販機なんてぇのがありましたよねぇ。

ぼくははてさて、お世話になった事やら、無かったやら?

なんせ中学生になると途端に思春期を迎え、ついつい異性を意識するようになり、果ては密かな神秘の女体に興味津々となったものです。

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書店の一角には、とても学生服のまま立っていられないような、ビニール本コーナーなんてぇのもあったものでした。

悪友と連れ立って、私服で変装し、書籍代を割り勘し、ドキドキものでビニール本を買ったりしたこともありました。

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しかし本を開くと、肝心要の場所が黒く塗りつぶされ、真っ黒ケッケ!

すると別の悪友が、「そんなもん、バター塗って指で擦りゃあ、塗りつぶしなんて消えちまうわぁ」とかって。

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実際に試してみたって、黒い塗りつぶしなんて消えたためしも無かったものです。

まぁ、今のような、何もかもスッポンポンのアダルトサイトなんてぇ代物も無かった時代でしたからねぇ。

若者たちは悶々としながら、そんな切ない青春期を過ごしたものでした。

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見えそで見えない方が、スッポンポンで丸見えよりも、もっともっと悶々としたのかも知れませんねぇ。


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こんな大人のアミューズメント・パークがあった事、覚えておいでですかぁ?

また、実際に入館された方もおいででしょうか?

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ぼくは18歳の夏休みだったかに、ちょうどこの駐車場まで行ったことがありましたが、残念なことに中まで入る事が出来ませんでした。

まぁ、未成年であった事もあったかも知れませんが、土砂降りの雨の中、尾鷲までまだ向かわなければならない、その途中にトイレ休憩とかで立ち寄ったに過ぎないからでした。

ぼくより2~3歳年上の先輩、尾鷲出身のMさんと、1歳年上の先輩O君と、M先輩のスズキジムニーのピックアップ型とでも言いましょうか、運転席と助手席にだけ屋根があり、後部の荷台に屋根のない補助席が剥き出しになった車に乗って、M先輩の実家のある尾鷲へと向かう事になったのです。

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もちろん一番年下のぼくが、後部荷台の屋根のない補助席に決まっています。

折しも、ちょうどこんなお盆前の夏真っ盛り!

名四国道を走り出して四日市を過ぎた頃だったかに、急に雲行きが悪くなり、やがて土砂降りに!

隣の追い越し車線を、大型トラックがぼくらを追い越す度、路面の轍に溜まった雨水がバッシャーっと、まるでバケツを引っ繰り返したかのように、屋根のない後部座席に座るぼく目掛け襲い掛かって来るじゃないですか!

もうそんな事の繰り返しで、ぼくはずぶ濡れ!

ようやく伊勢の国際秘宝館の駐車場までたどりついて、やっとのこと雨宿り!

って言ったって、もう既にぼくはずぶ濡れでしたから、ドライブインにも土産物屋さんにも立ち入れたもんじゃありません。

それ以上に、思春期のぼくには気になって気になって仕方のない、この国際秘宝館とやら。

しかしそんなずぶ濡れのままじゃあ、例え成人していたとしても、おいそれと入場なんてさせてもらえなかったことでしょう。

その日はそのまま、再び雨に打たれながら、Mさんの尾鷲の実家へと向かったものでした。

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それからも伊勢の国際秘宝館にいつか行ってみようと思ってはいたものの、ついぞその機会に恵まれず、秘宝の数々をこの目で見ることも叶わぬまま、いつしか閉館になっていました。

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ネットの写真で見ると、なんともエログロな世界が広がっていたようで、ぼくも一度は怖いもの見たさで、この目で確かめたかったものです。

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子どもの頃から、縁日の夜店なんぞで、こんな射的を見かけると、ついつい立ち止まってしまい、後ろ髪を引かれてならなかったような気がします。

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もしかすると前世の記憶の欠片によるものなのか、一応男の端くれではあり、この体の中を流れる血の中に、男本来のDNAを引きずっているからなのか、或いはTVの戦闘ドラマによる影響のせいか、それとも一獲千金のオモチャを打ち落とそうとする、俗なギャンブラー魂だけだったのか、ついつい足を止めてしまったものです。

とは言え、毎回毎回おいそれとは、射的をやらせてはもらえませんでしたが・・・。

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お母ちゃんの機嫌がすこぶる良い時にやらせてもらえたにせよ、せいぜい運よく的をコルク玉が打ち落としたとしても、ビスコかグリコのキャラメルくらいの物だった気がします。

そう言えば、最後に射的で遊んだのは、今から7~8年前、TVのロケで伊勢のおかげ横丁へ行った際、人生恐らく最後となる射的をやらせてもらった気がします。

意気込んで的を狙うものの、相変わらず打ち落とせたモノは、子どもの頃と相変わらずなんともおそまつでチープな駄菓子でしたぁ!

とすれば!

ぼくの前世もこんなへなちょこだったと言うのか!


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子どもの頃の事。

みよし市に住んでいた従兄妹が、夏休みを利用して、泊まり込みでわが家にやって来ると、必ずと言っていいほど、こんな藤田屋の大あんまきを、手土産に携えて来たものです。

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甘いモノが何よりのご馳走だった子ども時代に、長さ15cmほどもあろうかと言う大あんまきは、とにかく迫力もありお腹も一杯になる逸品だったものです。

知立名物の大あんまきは、当時あちらこちらでは売られておらず、年に一度夏休みに従兄妹が持ってきてくれなきゃ、そうそうお目に掛れるモノでも無かったように記憶しています。

ですから従兄妹との年に一度の再会よりも、大あんまきとの再会の方を、罰当たりにも愉しみにしていたものです。

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今じゃあてんぷら大あんまきなんてぇのもあるようですが、さすがに揚げ物好きのぼくでも、天ぷら大あんまき一個なんてとても胸焼けがしそうで、二の足を踏んでしまいます。

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しかし飛騨市古川町や神岡町の名物、「天ぷらまんじゅう」くらいのお手頃サイズなら、胸焼けもせず美味しくいただけるに違いありません!

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次回の飛騨市の取材時にでも、一つ買い込んでみるかぁ!


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