ぼくの家の周りの桜は、ほぼ8分咲から満開に近いものもあります。ですから既に、桜の木の周辺には早咲きの花びらが散り初め、淡いピンク色に染まり始めています。
桜は本当に美しいものですねぇ。また同時に、どことなく儚げで、遣り切れぬ切なさを感じるものでもあります。
何千年も昔の方々の眼にも、きっとそんな風に映っていたのではないでしょうか?
桜の季節になると、ぼくはついつい命の尊さを感じでしまいます。
僅かばかりの期間、人々の眼を愉しませ、どんなに愛でられていたとしても、やがて花びらは悉く風に煽られ散り行く定め。
花びらが散ってしまった後の桜は、そこに桜の木があったことも、忙しい現代人には忘れ去られてしまっているようにも思えます。
しかし桜は、全ての花びらが散ってしまい、誰にも見向きもされなくとも、来年の開花に向けてひっそりと命を繋いでいるのです。
そう思うと、桜の幹を取り囲むように、花びらが散って敷き詰められている姿に感動すら覚えます。
特に水辺の桜は、水面に花びらを浮かべ、現生と前世や来世を行きつ戻りつしながら、語らっているような気にさせられるものです。
今日お聴きいただく「花筏」は、高遠城址のお堀に浮かんだ花筏を見た時に、仮に花筏が前世と繋がる架け橋だったとしたら、せめてもう一度、母に逢うことが出来ぬものかとそう感じ、一気に作った作品です。
まずは弾き語りでお聴きください。「花筏」です。
「花筏」
詩・曲・唄/オカダミノル
桜散り初めし 朧月の宵 向こう岸から あなたの声
まぼろし泡沫 二度ない逢瀬と 知っているけど 愛しくて
花筏 せめて一度 あの人の 元へと
渡りたい その胸の中へ この顔 埋めて
盛り儚げし 美し桜も 咲けば散るのが 運命めなら
散りて惜しまれる 花筏のよに 水面染めしや 春の華
花筏 もう一度だけ あの人に 逢わせてよ
願えども 叶うはずもない 事だと 知りながら
花筏 せめて一度 あの人の 元へと 渡りたい
その胸の中へ この顔 埋めて
続いては、CDに収録されている「花筏」をお聴きください。
皆様もお近くで「花筏」がご覧になれるといいですねぇ。
★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)
今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「四月馬鹿!」。小学生の半ば頃だったでしょうか。四月馬鹿、つまりエイプリルフールを初めて知ったのは。近所に住むお調子者のA君が、わざわざわが家まで走ってやって来たのです。そして何を言い出すかと思えば、「お前少年漫画雑誌の懸賞に応募しただろう!どうもお前が当選したみたいだぞ!だって雑誌の当選者発表欄に、お前の名前が書いてあったって誰かが言っとったらしい!今から本屋へ付いて行ってやるで、お前お母ちゃんに言って雑誌代貰って来いよ」と。その懸賞とは、当時の男坊主共垂涎の玩具、サンダーバード2号のプラモデルだったのです。それは大変だとばかりに、お母ちゃんを拝み倒して雑誌代を手に入れ、A君と本屋へ。大急ぎで件の雑誌を手に入れ、巻末の当選者発表欄の小さな文字を目で追うも、どこにもぼくの名前なんぞありゃしない。「A君、どこにもぼくの名前なんて書いてないじゃないか!」とぼく。するとA君は、「♪引っ掛かった引っ掛かった♪四月馬鹿が引っ掛かった♪」と小躍りしながら囃し立てるじゃないですか!よくよく理由を尋ねると、四月一日だけは、公然と嘘をついても許されると。何も知らなかったぼくは、ただただポカーンとしていたと思います。そして結局、買ったばかりの少年雑誌まで、「引っ掛かったお前が悪いんだから」と、妙ちくりんな言い訳を取り繕われ、新刊の雑誌をA君に先に貸すことになり踏んだり蹴ったり!訳も分からず悔しかったものです。それ以来、来年こそは四月馬鹿で騙す方に回ってやろうと思うのですが、ちゃんと前日まではどんな嘘をつくかまで決めてはいるものの、四月一日当日の朝になるとすっかり忘れ果て、その繰り返しのまま62歳の現在に至ると言う、何とも不甲斐ない事この上なしです。皆様は四月馬鹿で誰かに嘘をついた方ですか?それともぼくのようにまんまと一杯食わされた方だったでしょうか?
今回はそんな、『四月馬鹿!』。皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。