「昭和Nostalgia」(352)

この写真は、飛騨市の都竹市長様のフェイスブックより拝借させていただきました。動画発表会終了後の記念写真です。真ん中のセーラー服姿の女子が、飛騨市立古川中学3年生のマイプロジェクト5名の中心となって、映像制作を担当してくださった2人の女生徒さんです。個人情報保護の観点から、お名前は伏せさせていただきます。

そしてこちらも都竹市長様のフェイスブックより拝借させていただきました。「三寺まいり」を自己紹介代わりに歌った後、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」の歌の前に、今回のプロジェクトについてお話をさせていただいている時のスナップです。

飛騨市 都竹市長様のフェイスブックより

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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これをご覧になった事はございませんか?

ぼくはお父ちゃんの仕事道具の入った道具箱の中で、こんな計算尺を見かけたものです。

しかし果たして、こんな一見しただけでも難しそうで、理解を越えるようなアナログな計算機を使って、どのようにして何を計算したものやら?

算数も苦手でならなかったぼくにゃあ、今もってさっぱり理解不能の長物です。

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このノギスって名前の計測器も、同様にお父ちゃんの道具箱の中で見かけたものですが、こちらは計算尺とは異なり、爪と爪の間に挟んで長さを計るものなんだぁと、それくらいは分かったものです。

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それから、お父ちゃんの日曜大工のお供は、こんな折り畳み式の物差しでしたねぇ。確か上着の胸ポケットに入れてあったような?

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こんな大きな巻き尺は、小学校の運動会の時なんぞに見かけましたねぇ。

でも令和の現代は、いずれもこんなアナログな計算機や計測器は、無用の長物と化しちゃっているんでしょうかねぇ?


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(352)」への4件のフィードバック

  1. 父は 物作りが得意だったので 折り畳み物差しを始め いろんな工具を持ってました。
    実家の片付けをしてると 『何これ?何に使うの?どうやって…』という物が 山ほど出て来ます。
    私は 学生時代に使った分度器や三角定規やコンパスなどを使うのが関の山。
    父は いつ・どうやって使い方などを習得したんだろう?
    母もそうだけど ホント昔の人は 凄いなぁ〜と感心してしまいます。

    1. 全く持って同感です!
      何もかもネット頼みの今とは異なり、もっと切実に真摯にその時々を、両親たちの世代は向き合ってきたって事なんでしょうねぇ。

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