この写真は、飛騨市の都竹市長様のフェイスブックより拝借させていただきました。動画発表会終了後の記念写真です。真ん中のセーラー服姿の女子が、飛騨市立古川中学3年生のマイプロジェクト5名の中心となって、映像制作を担当してくださった2人の女生徒さんです。個人情報保護の観点から、お名前は伏せさせていただきます。

そしてこちらも都竹市長様のフェイスブックより拝借させていただきました。「三寺まいり」を自己紹介代わりに歌った後、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」の歌の前に、今回のプロジェクトについてお話をさせていただいている時のスナップです。

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook
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これをご覧になった事はございませんか?
ぼくはお父ちゃんの仕事道具の入った道具箱の中で、こんな計算尺を見かけたものです。
しかし果たして、こんな一見しただけでも難しそうで、理解を越えるようなアナログな計算機を使って、どのようにして何を計算したものやら?
算数も苦手でならなかったぼくにゃあ、今もってさっぱり理解不能の長物です。

このノギスって名前の計測器も、同様にお父ちゃんの道具箱の中で見かけたものですが、こちらは計算尺とは異なり、爪と爪の間に挟んで長さを計るものなんだぁと、それくらいは分かったものです。

それから、お父ちゃんの日曜大工のお供は、こんな折り畳み式の物差しでしたねぇ。確か上着の胸ポケットに入れてあったような?

こんな大きな巻き尺は、小学校の運動会の時なんぞに見かけましたねぇ。
でも令和の現代は、いずれもこんなアナログな計算機や計測器は、無用の長物と化しちゃっているんでしょうかねぇ?
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確かに家のどっかにありますが、使ってませんネェ。
そうですかぁ!
やっぱり高木家にもございましたかぁ!
父は 物作りが得意だったので 折り畳み物差しを始め いろんな工具を持ってました。
実家の片付けをしてると 『何これ?何に使うの?どうやって…』という物が 山ほど出て来ます。
私は 学生時代に使った分度器や三角定規やコンパスなどを使うのが関の山。
父は いつ・どうやって使い方などを習得したんだろう?
母もそうだけど ホント昔の人は 凄いなぁ〜と感心してしまいます。
全く持って同感です!
何もかもネット頼みの今とは異なり、もっと切実に真摯にその時々を、両親たちの世代は向き合ってきたって事なんでしょうねぇ。