今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

これまた昭和の頃に、会社の事務所や銀行の窓口とか、そこら中で見かけられた腕カバー姿ですねぇ。

ぼくも小学生の頃、お母ちゃんお手製の端切れで作ってもらった腕カバーを、教室の中で着けていたものでした。
鉛筆で書いたノートの上に、袖口を載せると鉛筆の黒色が服に付いちゃうのを防ぐためだったのやら、水彩画の絵具が付いちゃうからだったのやら?
そんな腕カバーをしなきゃなんないような、高級な服なんて誰一人として着ていないのに?

それとも腕カバー流行りだったのやら?
そう言えば30数年前、ニュージーランドの確かダニーデンにあった、コーンウォール・ジュニアスクールで、子どもたちがカカポの水彩画を描き、それをお母さん方が写真に撮り、赤や青の画用紙に貼り込み、お手製のポストカードを作って、街頭でチャリティー販売してカカポのドネーションを集めると言った催しがあり、その同行取材をしていた時の事でした。
教室にやって来る子どもたちは、みんな手に手にお父さんが着古したワイシャツを手にしてやって来るではないですかぁ!
するとそのワイシャツの背中側を自分の胸側に宛がい、前後反対のまま袖を通して、お母さんたちがワイシャツのボタンを子どもの背中側でとめ、それを腕カバーならぬ、お絵かき用のエプロン代わりとしていたのです。
そりゃあもう、子どもの体はお父さんの着古したワイシャツで、すっぽり首から下全身が覆われてますから、どんなに悪戯をして絵筆で悪さされたってヘッチャラ!
実に理にかなっていて、とても感動したものでした。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
小学生の頃 書道の時間には みんなお揃いのスモック(幼稚園児が着るような) を着てたので 汚れる事はなかったけど 白いブラウスにジャケット…という制服だったので 授業中 知らず知らずのうちにブラウスの袖口が鉛筆で書いた字で少しずつ汚れてたのを思い出しました。
でも 卒業まで そんなに気にならなかったという事は いつもお母さんが丁寧に洗ってくれてたんですよね。その時は 気付きもしなかったのに。感謝感謝です♡
お母さんと言うのは、思い返す度、感謝の念しか沸き上がって来ないほど、とてもとても有難い存在ですよねぇ。