「昭和Nostalgia」(341)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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これまた昭和の頃に、会社の事務所や銀行の窓口とか、そこら中で見かけられた腕カバー姿ですねぇ。

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ぼくも小学生の頃、お母ちゃんお手製の端切れで作ってもらった腕カバーを、教室の中で着けていたものでした。

鉛筆で書いたノートの上に、袖口を載せると鉛筆の黒色が服に付いちゃうのを防ぐためだったのやら、水彩画の絵具が付いちゃうからだったのやら?

そんな腕カバーをしなきゃなんないような、高級な服なんて誰一人として着ていないのに?

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それとも腕カバー流行りだったのやら?

そう言えば30数年前、ニュージーランドの確かダニーデンにあった、コーンウォール・ジュニアスクールで、子どもたちがカカポの水彩画を描き、それをお母さん方が写真に撮り、赤や青の画用紙に貼り込み、お手製のポストカードを作って、街頭でチャリティー販売してカカポのドネーションを集めると言った催しがあり、その同行取材をしていた時の事でした。

教室にやって来る子どもたちは、みんな手に手にお父さんが着古したワイシャツを手にしてやって来るではないですかぁ!

するとそのワイシャツの背中側を自分の胸側に宛がい、前後反対のまま袖を通して、お母さんたちがワイシャツのボタンを子どもの背中側でとめ、それを腕カバーならぬ、お絵かき用のエプロン代わりとしていたのです。

そりゃあもう、子どもの体はお父さんの着古したワイシャツで、すっぽり首から下全身が覆われてますから、どんなに悪戯をして絵筆で悪さされたってヘッチャラ!

実に理にかなっていて、とても感動したものでした。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(341)」への2件のフィードバック

  1. 小学生の頃 書道の時間には みんなお揃いのスモック(幼稚園児が着るような) を着てたので 汚れる事はなかったけど 白いブラウスにジャケット…という制服だったので 授業中 知らず知らずのうちにブラウスの袖口が鉛筆で書いた字で少しずつ汚れてたのを思い出しました。
    でも 卒業まで そんなに気にならなかったという事は いつもお母さんが丁寧に洗ってくれてたんですよね。その時は 気付きもしなかったのに。感謝感謝です♡

    1. お母さんと言うのは、思い返す度、感謝の念しか沸き上がって来ないほど、とてもとても有難い存在ですよねぇ。

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