今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

ぼくが初めてスキーを体験したのは、昨日のブログでもお話いたしましたように、カブスカウトのスキー教室で白馬のゲレンデへ行った時でした。
確か、小学校の3年生の冬であったはずです。

当時のスキー道具は、今とは比べ物にならないほど、実に粗末なものだったものです。
木製のスキー板に竹製のストック、そして写真の様な重たいスキーシューズで、靴の踵の枠にスプリングを噛ませて、靴前方の金具を押し倒してロックすると言ったもの。

もちろん初心者でしたから、ロープリフトのロープを両手を前後に伸ばしてしっかりと握り、そうして体を支え勾配を登ってゆくのですが、どういうわけだかスキーを履いたお尻だけが前方へとどんどん先に滑って行って、やがてそのまま仰向けに寝そべったような状態に!

とうとう自分の体重を両手で支え切れなくなって、ロープから手が離れてしまいます。
すると今度は、仰向けの状態のままズルズルと勾配を滑り落ちてゆき、後続で登って来る仲間に体当たり!
そこへその後続者も重なり合い、見る見るうちに手の付けようもない団子状態となったものでした。

夕方民宿に帰ると、こんな乾燥室で濡れたスキー道具や、ウエアーを乾かしたものでした。
晩御飯までのひと時は、みんなで炬燵に潜り込み、民宿のおばちゃんが運んでくれたアッツアツのお茶を啜り、お茶請けの自家製野沢菜に舌鼓を打たせていただいたものでした。
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ロープリフトって どうゆうものなのか
教えてもらいたかったので 勉強になりました。と、わらわかして貰いました。
(ごめんなさい) 思い出しても笑ってしまいます。自分もそうなったら やっぱり笑えて力が入らなくなりそうです。
いやいや~っ、ロープリフトはなかなかに手強いものでしたよ!
私のスキーデビューは 20歳頃だったような ❤
デビュー日は ウェアーと手袋は友達に借り 板と靴はスキー場で借りました。
毎週末 早朝に車で迎えに来て貰い
石徹白迄行って オープンする迄 車の中で仮眠していましたね (*^^*)
若かったから出来たんでしょうね
スキーはもう30年近く ご無沙汰
コロナ禍に断捨離をした時 スキー板も靴もウェアーも処分しました。
★今日 柳ケ瀬のドラッグストアの前で KIRINさんとファン⚪ルさんのコラボ 『カロリミット アップルスバークリング』炭酸飲料 350ミリ缶を頂きました。
油や脂肪の吸収を抑えます!と書いてあります。
KIRIN一番搾りを た~くさん飲んで このカロリミットを飲めば 0に!?
ならないですよね (・・;)
さっそく今夜 飲んでみま~す
ぼくは今を遡る15~16年前に、娘と二人で駒ケ根のスキー場に行っていらい、もう滑っていませんねぇ。
まぁこの歳になってから滑ったら、あっちこっち骨折しちゃうかもしれませんよねぇ。
『カロリミット アップルスバークリング』って、何だかお洒落ですねぇ。
初めて滑ったのは、当時は京都に居たので滋賀県のびわ湖バレイスキー場でした。下宿の先輩たちに連れて行ってもらい、頂上まで行って、「ハイ、あとは自分で行ってね~」と言われて一人取り残されて途方にくれましたが、とにかく転びながらもなんとかボーゲンが出来るように。
その後、結婚した家内の実家が長野県中野市で、お父さんが志賀高原の観光会社に勤めてみえたので、勤務先の奥志賀のスキー場にもよく伺いました。リフトの無料券を頂いて滑り放題~!
そのスキー場も今は閑散として、ロープウェイも廃止になりました。
映画「私をスキーに連れてって!」世代としては何とも寂しい限りです。
始めの頃のスキー板は、直立したまま垂直に右手を天に伸ばしたほどの長さのスキー板が適切だとか言われ、長い長いスキー板で悪戦苦闘したものでしたが、いつのまにやらショートスキーに代わり、めっちゃくちゃ滑りやすくなったものでした。