「昭和Nostalgia」(209)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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ぼくが初めてスキーを体験したのは、昨日のブログでもお話いたしましたように、カブスカウトのスキー教室で白馬のゲレンデへ行った時でした。

確か、小学校の3年生の冬であったはずです。

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当時のスキー道具は、今とは比べ物にならないほど、実に粗末なものだったものです。

木製のスキー板に竹製のストック、そして写真の様な重たいスキーシューズで、靴の踵の枠にスプリングを噛ませて、靴前方の金具を押し倒してロックすると言ったもの。

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もちろん初心者でしたから、ロープリフトのロープを両手を前後に伸ばしてしっかりと握り、そうして体を支え勾配を登ってゆくのですが、どういうわけだかスキーを履いたお尻だけが前方へとどんどん先に滑って行って、やがてそのまま仰向けに寝そべったような状態に!

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とうとう自分の体重を両手で支え切れなくなって、ロープから手が離れてしまいます。

すると今度は、仰向けの状態のままズルズルと勾配を滑り落ちてゆき、後続で登って来る仲間に体当たり!

そこへその後続者も重なり合い、見る見るうちに手の付けようもない団子状態となったものでした。

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夕方民宿に帰ると、こんな乾燥室で濡れたスキー道具や、ウエアーを乾かしたものでした。

晩御飯までのひと時は、みんなで炬燵に潜り込み、民宿のおばちゃんが運んでくれたアッツアツのお茶を啜り、お茶請けの自家製野沢菜に舌鼓を打たせていただいたものでした。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(209)」への6件のフィードバック

  1. ロープリフトって どうゆうものなのか
    教えてもらいたかったので 勉強になりました。と、わらわかして貰いました。
    (ごめんなさい) 思い出しても笑ってしまいます。自分もそうなったら やっぱり笑えて力が入らなくなりそうです。

  2. 私のスキーデビューは 20歳頃だったような ❤
    デビュー日は ウェアーと手袋は友達に借り 板と靴はスキー場で借りました。

    毎週末 早朝に車で迎えに来て貰い
    石徹白迄行って オープンする迄 車の中で仮眠していましたね (*^^*)
    若かったから出来たんでしょうね

    スキーはもう30年近く ご無沙汰
    コロナ禍に断捨離をした時 スキー板も靴もウェアーも処分しました。

    ★今日 柳ケ瀬のドラッグストアの前で KIRINさんとファン⚪ルさんのコラボ 『カロリミット アップルスバークリング』炭酸飲料 350ミリ缶を頂きました。
    油や脂肪の吸収を抑えます!と書いてあります。
    KIRIN一番搾りを た~くさん飲んで このカロリミットを飲めば 0に!? 
    ならないですよね  (・・;)
    さっそく今夜 飲んでみま~す

    1. ぼくは今を遡る15~16年前に、娘と二人で駒ケ根のスキー場に行っていらい、もう滑っていませんねぇ。
      まぁこの歳になってから滑ったら、あっちこっち骨折しちゃうかもしれませんよねぇ。
      『カロリミット アップルスバークリング』って、何だかお洒落ですねぇ。

  3. 初めて滑ったのは、当時は京都に居たので滋賀県のびわ湖バレイスキー場でした。下宿の先輩たちに連れて行ってもらい、頂上まで行って、「ハイ、あとは自分で行ってね~」と言われて一人取り残されて途方にくれましたが、とにかく転びながらもなんとかボーゲンが出来るように。

    その後、結婚した家内の実家が長野県中野市で、お父さんが志賀高原の観光会社に勤めてみえたので、勤務先の奥志賀のスキー場にもよく伺いました。リフトの無料券を頂いて滑り放題~!
    そのスキー場も今は閑散として、ロープウェイも廃止になりました。
    映画「私をスキーに連れてって!」世代としては何とも寂しい限りです。

    1. 始めの頃のスキー板は、直立したまま垂直に右手を天に伸ばしたほどの長さのスキー板が適切だとか言われ、長い長いスキー板で悪戦苦闘したものでしたが、いつのまにやらショートスキーに代わり、めっちゃくちゃ滑りやすくなったものでした。

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